しえろう日記

刀ミュに狂った女のひとりごと

遅筆

ひとつの情報から、自分の中に生まれる感情や思いが多すぎて、それに自分自身が圧倒されてしまうことが、私には多くある。

 

だから、感想とか考えとか思いとか、そういったものを文章として形にしようとすると、手をつけるのにかなりの時間がかかってしまう。膨大な思いのどこから着手すべきかうろたえている間に、どんどん時間が過ぎていってしまうのだ。

ゆえに、語弊があるかもしれないが、言及しようとする話題の旬が過ぎてしまうことも多い。

 

そうなると、自分が触れたかったもの自体が、世間的に薄れていくようであり、またそこに自分が取り残されたように感じることもあり。その孤独感や他者からの見え方を勝手に気にして、思いを形にできないことが今までとても多くあった。

 

それが私の長年の後悔である。

しかし、こうしてXやブログで言葉にして発信しようと思い立ったのも、この後悔を繰り返さないため、自分自身が感動したものに対して何かしらの形を残すことで、自分が納得して次に進むためだった。

自分自身の機動の遅さを感じながらも、自分が出せるタイミングではあるが、これからも言葉として発することは続けていきたい。

 

なんて。

何があったというわけではないのだけれど、さきほど自分の遅筆ぶりに嫌気がさしてしまったので、自分を奮い立たせるために、言い訳がましい決意表明をしたまででございます。

 

要は、相変わらず遅筆ではありますが、今後も自分のタイミングで細々と刀ミュの話を続けたいなってことです。

 

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2週間

新年明けましておめでとうございます。

 

なんて、今年が始まって2週間以上経つと、もう新年ムードはすっかり無くなってしまいますね。

2024年なんて、始まってもう3年くらい経つのではないかと思うほどです。

 

年が明けて2週間ということは、村正派双騎が終わって2週間経っているわけで。

 

私はというと、当初想定していた寂しい気持ちは自分でも意外に思うほど薄い状態です。

村正派双の千秋楽を見て、最高のハッピーエンドを感じてしまったせいかもしれません。

 

村正派双騎は、完成しない物語でもあったように思います。一方で、あの千秋楽はこれ以上無いほどに完璧な、完成されたものでした。

思い残すことはない、なんて言うと語弊がありますが、村正派のひとつの終着点を目撃できたこと、また公演が誰ひとり欠けることなく最後まで上演できたことに、いち観客ながら達成感と充足感を覚えました。

 

いつも千秋楽を迎える度に、ヤダヤダ!終わらないで!!と四肢をバタつかせていた身ですが、今回に限っては静かに涙を流すのみでございます。

嘘です少し盛りました。終わらないでーーー!!ってひとり部屋で叫びました。

とまあ、寂しくないかと言うと嘘になります。

双騎のことを考えない日はないですし、毎日「早く配信してくれ」と願う日々です。

ああ、もうこれは双騎ロスですね。

 

約1ヶ月間ほぼ毎日、ステアラに村正と蜻蛉切がいる日々はなんとも言いがたい幸福な期間でした。

自分が現地にいない日も、豊洲でふたりがステアラを回しているかと思うと、ある種の希望というか、それが生活の原動力になる。そんな日々でした。

きっとこの日々を忘れることはないと思います。

 

公演期間には、ぽちぽち思い付いた感想や考え(解釈と言って良いでしょうか)をXで度々呟かせていただきました。

いいねやRTなど、ご反応いただくことも多く、恐悦至極です。

ご覧いただきました方、ご反応いただきました方、本当にありがとうございました。

 

千秋楽を迎えてから、感想を呟くことも止まってしまいました。が!!!無気力になったわけでも、言いたいことが無くなったわけでもありません!

公演期間中に間に合わなかっただけで、まだまだ感想、解釈について、とてつもない量の言いたいことがあります。

 

じゃあ言えよという話ですが。

実はお恥ずかしながら、双騎期間中は色んなことを後回しにして双騎に夢中になっていまして、そのしわ寄せが新年にやってきた状態です。

イヒヒ…。

 

双騎への感情がいまだとどまることを知らないので、日々言いたいことは膨らんでいくのですが、なかなかそれを形にできないまま、年明けから2週間が経ってしまいました。

あわせて遅筆である自分が恨めしくもなります。

 

今現在は、溢れかえる双騎への思いを前に、どこから触れようかと立ち尽くしている状態です。

ただ、少しだけ落ち着きを取り戻して来ましたので、そろそろ双騎の話を再開していけたらなと思っております。

お付き合いいただけたら幸いです。

 

まったくもってまとまりませんが、ご挨拶まで。

 

村正派双騎に向けて 村正と蜻蛉切を考える

内容

1.       はじめに... 2

2.       村正と蜻蛉切が登場する公演... 4

2-1.三百年の子守唄... 4

2-2.葵咲本紀.. 4

2-3.大型公演(真剣乱舞祭、歌合、音曲祭、すえひろがり)... 4

3.       千子村正と蜻蛉切とは何者なのか... 5

3-1.千子村正とは何か.. 5

3-2.妖刀村正伝説.. 6

3-3.蜻蛉切とは何か... 10

3-4.蜻蛉切の記憶.. 13

4.       ミュージカル刀剣乱舞における「心」とその成長.. 14

4-1.刀ミュにおける「記憶」と「心」... 14

4-2.心の成長段階.. 15

4-3.刀ミュにおけるキャラクターの成長について.. 16

4-4.村正と蜻蛉切の成長... 19

4-4-1.村正の成長... 19

4-4-2.蜻蛉切の成長.. 21

5.       ミュージカル刀剣乱舞における村正派の行動の整理... 25

6.       三百年の子守唄... 25

6-1.三百年の子守唄の任務について.. 26

6-2.村正にとっての三百年の子守唄.. 27

6-3.蜻蛉切にとっての三百年の子守唄... 31

6-4.三百年の子守唄における村正派の関係性と変化... 34

7.葵咲本紀... 38

7-1.葵咲本紀の任務について... 39

7-2.葵咲本紀における村正と蜻蛉切の関係性と変化... 41

7-2-1.作品冒頭の村正派.. 42

7-2-2.村正の描かれ方と家康との関係性... 43

7-2-3.蜻蛉切の変化.. 48

7-2-4.目線と立ち位置の変化.. 49

7-2-5.村正派と信康の関係性.. 51

7-3.夫婦として描かれる村正派.. 53

7-3-1.身体的接触による互いへの意識の変化... 53

7-3-2.「恋」と「夫婦」の描かれ方... 56

7-4.「誰がために」について... 59

8.葵咲本紀2部冒頭の舞について... 64

8-1.イザナギとイザナミと村正派... 64

8-2.2部冒頭の舞について.. 66

9.おわりに... 67

 

 

  • はじめに

村正派双騎おめでとうございます!!!!!!!!!!!!!

私はこの時を待ちわびておりました!!!!!公演の無事と成功を心よりお祈りしております!!!!!

 

村正派は私を刀ミュ沼に沈めた原因でもあるので、ここにきて新たにふたりの話が紡がれる、しかも太田さんとspiさんおふたりが演出として作品を主導されるとあれば、荒ぶらずにいられましょうか!!!

今までぼちぼちと過去公演の感想などをつぶやいていましたが、この晴れ晴れしい村正派双騎を記念して、改めて刀ミュにおける村正派のふたりを考えてみたいと思います。

過去にTwitter(X)でつぶやいた内容と重複する部分もたくさんありますが、村正派双騎に荒ぶる人間を眺めてもいいよという方、ともに踊り狂ってもいいよという方、どうかお付き合いいただけると幸いです。

 

また、私自身のハマり方が少し独特な気がしています。もちろん原案ゲームはプレイしており大好きなのですが、その派生作品の中でもミュージカル刀剣乱舞にどっぷりハマってしまいました。2.5次元舞台というジャンルに分けられる以上、原案ゲームありきなのは重々承知していますが、私自身の見方として、刀剣乱舞のゲームを再現している舞台としてではなく、ゲームやキャラクター設定を原案としたひとつの作品として刀ミュを捉えています。なので、私の感想や解釈、考えはあくまで刀ミュで触れられた内容に依存しています。話の中でゲーム内の設定や内容に触れることはありますが、原案ゲームの村正派の関係性についてはここではあまり突き詰めて考えない予定です。あくまで刀ミュの村正派について考えていきたいと思いますので、どうかご了承ください。

 

 

【ご注意】

  • 私が発する文章は既に発しているものも含め、一部内容がいわゆる「腐向け」と捉えられる可能性があります。私としては大真面目に発している内容なのですが、結果的に内容としてはやや人を選ぶのではないかと思っています。例えば、公式で明言されていない同性同士の関係性を恋愛になぞらえて解釈するなどがあります。私としてはカップリング的な話を目的にしているわけではないのですが、解釈であってもそういうのは苦手だという方、その他細かい点が気になる方については、自衛として閲覧をお控えいただければと思います。よろしくお願いいたします。

 

  • 文章については、すべて言い切りの形で述べています。「〇〇は~です」とか「〇〇は~を表しているのです」など。これについては、読みやすさを重視しているためにこのように表現しているだけです。私個人が感じた作品への感想や解釈でしかないことを、どうかご理解ください。自分の考えを押し付ける意図はまったくありません。書いてある内容は、すべて私の完全なる妄想です。どうぞ文の最後には、「という私の妄想です」と付け補完してお読みいただけると幸いです。

 

 

それでは本題に入りたいと思いますが、いやあ村正派は深い!

役者おふたりの演技やパフォーマンスも相まって、村正派という存在に特殊性や威厳を感じるほどです。今までの物語も凄まじかったですが、役者さんが身を通して感じたものを双騎として作品にしてくれることの喜びですよ。今から抱えきれるか不安なくらいです。

 

かねてから特に村正と蜻蛉切の関係性については、私も考察(と呼べるレベルではないですが)していたため、何とも言えない感慨深さがあるのですが。太田さんとspiさんが、ご自身の役者人生やスキルを投じて演じてくれるという事実に、襟を正して見させていただかなければという心地でいます。重いファンですわ。

卒業とかそういうのではなく、何となくひとつの集大成になるんだろうなとか、新たな展開をしていく上での切り替えポイントになるんだろうな、とか。勝手にそんなことを思っています。私自身としても、長年刀ミュを見てきましたが、この村正派双騎がひとつの節目のように感じています。自分の人生に大きな影響を与えてくれた刀ミュ。その中でも特に思い入れのある村正派の双騎なので、こう、なんといいますかね、感情も重くなるってもんです。

開幕前からこんなことを言うのもアレですが、村正蜻蛉切双騎出陣を経て、今後ともおふたりが演じる村正派が末永く、すえひろがっていくことを願ってやみません。

 

そんな感じなので、今までの考えを自分自身向けにまとめておきたいと思いました。卒論、というと語弊がありますが、そんな気持ちで村正派に向き合っていきたいと思います。

うーん、重いね!!(笑)

こんな重い気持ちを持った人間が書いた文章ですが、何卒お付き合いくださると嬉しいです。

なお、こちらの文章についてはのちに追記・修正することもあります。

 

どこから語るべきか悩んでしまいますが、とりあえず今までの村正と蜻蛉切を整理するところから始めたいと思います。

 

 

 

基本的に村正と蜻蛉切って同じ公演に出演しているので、まずはふたりが出演した刀ミュ公演の概要と、その中でも特に気になったシーンやポイントなどをまとめていきます。

 

2-1.三百年の子守唄

記念すべき村正派初登場作品。村正の顕現から徳川家家臣への成り代わり任務の遂行、徳川家康の最期までが描かれました。村正としては、本丸で鍛刀により顕現されてまもなく出陣。妖刀としての自分が徳川家の家臣として生きることに抵抗を感じながらも、井伊直政に成り代わり任務を遂行します。信康自刃に当たっては、自らがつらい役割を務めようする姿勢を見せていたのも印象的でした。

蜻蛉切としては、村正の言動を諫めながらともに任務に出陣。元主である本多忠勝に成り代わることに恐縮しながらも、無事任務を果たしました。つらい役割を背負おうとする村正にたいして「俺も村正だ」と発言しており、蜻蛉切なりに「村正」について思うことがあるように見えます。

※なお、ここで言及する三百年の子守唄は、2019年の再演版をベースにお話しします。

 

2-2.葵咲本紀

三百年の子守唄の任務継続中の村正派に、本丸から鶴丸、明石、御手杵、篭手切の4振りが合流する話。信康が亡くなったことを悲しむ村正と、それを知らず任務を継続する蜻蛉切。村正と蜻蛉切の心はすれ違っているような描写がありましたが、その後村正の想いを知って以降は「誰がために」を歌唱し、心を通わせていたようでした。信康生存判明後は、信康らと共に任務を遂行。石切丸の手記に「葵咲本紀」とタイトルを付けて物語は終わります。

 

2-3.大型公演(真剣乱舞祭、歌合、音曲祭、すえひろがり)

村正派ふたり同時に出演したのは、真剣乱舞祭2017、真剣乱舞祭2018、壽乱舞音曲祭、真剣乱舞祭2022。蜻蛉切のみ、歌合乱舞狂乱、すえひろがり(1日のみゲスト)出演。

 

 

 

刀ミュのふたりを考える前に、まずは刀と槍としての千子村正蜻蛉切について考えたいと思います。

 

3-1.千子村正とは何か

 

刀ミュ公式のキャラクター紹介は、Twitter刀剣乱舞-本丸通信-【公式】と同じ文章。以下、村正のキャラクター紹介文を引用します。

 

「初代村正(千子村正)の作で、恐ろしいほどの切れ味を持つ実戦向きの打刀。ミステリアスな立ち居振る舞いは、長く妖刀として眼差しを向けられてきた彼の物語から来るものか。同じ村正の一派である蜻蛉切の心配の種でもある。」

 

ミュージカル刀剣乱舞 キャラクター紹介ページ

URL:https://musical-toukenranbu.jp/contents/character/autumn2019

刀剣乱舞-本丸通信-【公式】X(旧Twitter

https://twitter.com/tkrb_ht/status/816570355003232256

 

この紹介文から村正は、歴代の村正の総称ではなく、あくまで初代村正の刀剣ということと、妖刀として見られてきた刀ということがわかります。妖刀村正として見られた刀の中には初代以外の作もあったのではないかと推察されますが、刀ミュを楽しむ上で初代かそれ以外かは、ストーリーへの影響力がそこまで高くない問題だと思われるので、ここではあまり触れません。村正は、主に初代村正が作った刀の総称であり、妖刀として長く扱われてきた。この部分に着目したいと思います。

 

それでは、初代村正とはいったい何者だったのでしょうか。私が調べた範囲なので浅い内容にはなってしまうが、まとめてみようと思います。なお、学術論文としての文章ではないため、基本的には出典元などは記載していませんのでご了承ください。

※あくまで素人が調べて書いているだけなので、信憑性についてはあまり突っつかないでいただけると幸いです。(普通に年とか間違っている可能性も高いので、だいたい、ふんわりと、薄眼で見てください・・・!)

 

初代村正とは、室町時代後期に三重県桑名を中心に活躍した刀工。桑名郷土の伝承では、千手観音の子を由来として「千子」を名乗ったと伝わる人物です。千手観音の子・村正。刀ミュの紋が千手観音を想起させるデザインなのも頷けるところ。

初代という通り、村正の名は数代に渡って継承されており、その代数は3代ともそれ以上とも言われています。少なくとも私が調べた限りでは、2代目、3代目がいつ村正を名乗ったのか、入れ替わりや明確な襲名時期はわかりませんでした。

※私の目的は刀ミュの村正の理解度を上げることなので、あくまでふんわりと流せるところは流していきますね。

 

村正の刀はその恐ろしいほどの切れ味が特徴で、実戦刀として三河武士にも好まれた刀です。刃紋、タナゴ茎など、作風にも多くの特徴がみられます。伝承などは様々ですが、海外でも「MURAMASA BLADE」として知られるくらい、村正は知名度の高い刀。「村正」は日本刀の中でも最も有名な刀のひとつと言って良いのではないでしょうか。

 

村正の最も古い銘は、1501年(文亀元年)のもの。なお、とうらぶゲームにて村正の極修行先でもあった鍋島家に伝来する「妙法村正」は、銘から判断すると1513年頃の作と考えられます。また、徳川家康所有の「村正御大小」は1504年~1521年頃の作品と考えられているようです。

刀剣男士・千子村正は、特に特定の刀であるとは明言されていません。ただし、キャラクター設定においては、妙法村正の特徴を多く含んでいるように見えます。刀ミュでも出てきた村正の台詞「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」は、法華経のお題目である妙法蓮華経のこと。日蓮宗に帰依していた刀工・村正の影響を受け、妙法村正には「妙法蓮華経」と刻まれているため、恐らくはその点から作られた台詞だと思われます。村正の「刀工村正による刀」という性質部分の多くは、この妙法村正に依っているのではないかと考えられます。

さて、刀工・村正の隆盛期は1521年から1555年頃の大永・天文の頃。なお桑名宗社奉刀「銘 勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作 天文十二年五月」については、隆盛期に当たる1543年に作られています。この時期の銘にあるように、村正は「藤原朝臣村正」と称しているため、従五位下より上の地位を得ていたこともわかります。つまりは、村正刀が隆盛を極めた当時、村正は世間的にも何ら忌避される存在ではなかったということ。徳川家康も村正御大小を持っていたくらいですしね。

村正の系譜は、その後正重・正真へと伝わります。蜻蛉切の生みの親とされる藤原正真については、蜻蛉切についての項目で詳しく見ていきますね。ここでは村正を継ぐ者として正真という人物がいた、という話にとどめます。

 

3-2.妖刀村正伝説

村正が妖刀として扱われてきたことは、刀ミュの作中で何度も触れられていましたが、そもそも妖刀村正伝説とは何なのでしょうか。妖刀といえば村正、というレッテルは、もはやかなり日本人に染み付いてしまっているように思います。妖刀村正をモチーフにした作品も多く、悪いイメージに限らずとも、長く妖刀として目を向けられてきた刀でしょう。真偽のほどは別として、それでは妖刀村正伝説にはどんなものがあるのでしょうか。主な「妖刀村正」エピソードを見ていきたいと思います。

 

妖刀村正伝説は、大きくふたつに分けられるのではないかと私は考えます。ひとつは、徳川家に仇なす妖刀として。もうひとつは、手にした人間を狂わせる魔力を持った妖刀として。前者は江戸時代に書かれた書物から、後者はそこから広まった噂が脚色され、主に歌舞伎から広まったように見えます。順を追って見ていきますね。

 

徳川に仇なす妖刀としてのエピソードとしては

・家康の祖父・松平清康が家臣の村正刀によって殺害された。

・家康の父・松平広忠が家臣の村正刀によって斬られた。

・家康自身が村正の刀や槍で怪我をした。

・家康の息子・松平信康が自刃した際、解釈に村正刀が使われた。

などが代表的な、徳川に仇なす妖刀・村正のエピソードです。

この内、史実として信憑性があるのは祖父のエピソードのみと考えられています。

 

これらの逸話は、徳川家康死後、江戸時代に作られた書物がその源泉となっています。主に妖刀伝説を広めたのは「三河風土記」や「落穂集」など。信憑性としては低い書物でありながら、江戸時代中期には妖刀村正伝説は江戸で広まってしまいました。1786年の「耳嚢」では、村正は不吉な刀であり、刀工村正自身も狂人であるとまで扱われています。こうした村正忌避の風潮の中で、村正は人を惑わす妖刀としてイメージが定着していきます。徳川家に仇なす妖刀として広まっていった村正でしたが、次第に徳川家のみならず、刀を手にした者に狂気を与える妖刀として扱われていきました。

 

手にした人間を狂わせる魔力を持った妖刀としては、前述の「耳嚢」をはじめ、主に歌舞伎などの文化的側面から広まっていきます。

1860年(万延元年)の歌舞伎「八幡祭小望月賑」では、主人公の男が愛憎の末、妖刀村正に魅入られ人殺しを行っていくストーリーが描かれ大ヒットしました。さらに1867年(慶応3年)には、享保の吉原百人斬り伝説をモチーフに、吉原百人斬りを実行した佐野次郎左衛門が村正を凶器に使った様子を描いた浮世絵「英名二十八衆句」が発表されます。その後1888(明治21年)、吉原百人斬りを同じく描いた歌舞伎「「籠釣瓶花街酔醒」も大ヒット。作中で主人公・佐野次郎左衛門が恋人の花魁・八ツ橋をはじめ、吉原の多くのひとを斬り殺すのですが、その凶器となったのが「籠釣瓶」と呼ばれる妖刀村正でした。これらの歌舞伎の大ヒットを受け、村正は人を狂わす妖刀として人々の意識に定着していきました。

 

刀ミュの村正を知っている身からすると、村正が妖刀として目を向けられて生きた事実をどうにかしてあげたいと思ってしまうのですが…それは本当にそうなのですが!一方で、妖刀村正を題材にした歌舞伎なんて、もう本当に美しく素晴らしい作品なんですよね。「籠釣瓶花街酔醒」は今も人気が高いですし、私も大好きです。確かに村正は妖刀として描かれはするのですが、ある種の格好良さすら感じます。キャラクター紹介文にもあったように、村正は妖刀だったからこそミステリアスな雰囲気をまとう人格として登場したのかもしれません。籠釣瓶は本当に良い・・・叶うならば双騎でやってくれませんかね。なんて祈ってみたりして。

 

まさに「妖しい魅力」満載の村正ですが、村正は本当に「妖刀」なのでしょうか。先に私の結論から言うと、妖刀伝説はあくまで噂の範囲を出ていないと言えます。

まず、徳川家に仇なす妖刀としての村正について。これについては、少なくとも徳川家康存目時点では、そのような意識はなかったと考えられます。家康の生きた時代は1543年~1616年。先に述べた刀工・千子村正については、桑名宗社の奉刀に「藤原朝臣村正」とあるように、1543年の時点で低くない地位を得ていたこと、家康の遺品に「村正御大小」という打刀と脇差があったことなどを考えれば、家康が生きていた時代に村正は忌避されていなかったと考えられます。その後、家康が亡くなってだいぶ経ってから書物などによって「人を狂わす妖刀」としての村正伝説が始まりました。こちらの妖刀伝説は、噂としてかなり広がっていた、何なら今でも妖刀のイメージが残っていることは事実ですが、村正自体に魔力があったという証拠は見当たりません。

 

一般的な妖刀村正伝説についてはこのくらいにしておいて。それでは刀ミュの村正は妖刀伝説とどのような関わりを持っているのでしょうか。

まず、刀ミュの世界における妖刀村正伝説の真偽とはどうなのか。刀ミュ世界は、現在我々が生きる正解とほぼイコールだとは思うのですが、あの世界でも妖刀伝説は噂に過ぎないのだと思われます。根拠としては、まあまずは蜻蛉切の「だから誤解をされるのだ」という台詞。脱ごうとする村正を止めるときに言うのですが、「だから」という部分に、脱ぐことに限らず、村正が「誤解される」存在であることが匂わされます。明言はされていませんが恐らくは、事実ではないのに妖刀であると「誤解」されてきた、ということでしょう。

もうひとつは、三百年の子守唄の物吉貞宗の冒頭の台詞です。顕現したばかりの村正と初対面を果たした物吉は、村正と聞いて「あなたが・・・」と発言。その後、物吉にちょっかいをかける村正を諫めた蜻蛉切は、「誤解しないでやってほしい。悪い奴ではないのだ」とフォローします。これに対して物吉は「はい、わかっています」と答えるんですよね。まず、村正に対して「あなたが・・・」と言って見つめるということは、この時点で物吉と村正に刀時代の面識・記憶がないことがわかります。この時点で物吉は村正とは初対面ということ。

ちなみに、刀時代に面識があった刀剣男士同士は顕現すぐであってもお互いをきちんと認識します。みほとせ冒頭では、村正が顕現した直後に蜻蛉切がやってきますが、その際村正も蜻蛉切も、お互いに名乗っていません。それにも関わらず、「久しぶりデスね」「この間会った気もするが」という会話をするわけです。人の見た目にはなったけれど、刀時代に会っていれば、初めましてという態度には基本的にならないのが、刀ミュの刀剣男士のルールのようです。

同様に考えると、やはり物吉と村正は初対面なのでしょう。であるにもかかわらず、その直後の蜻蛉切の「誤解しないでやってほしい。悪い奴ではないのだ」という言葉には、「わかっています」と笑顔を返しています。物吉は初対面なのに、「村正は悪い奴ではない」ことをわかっているんですよね。これって、私としては早々に明かされた「正解」なのではないかと思っています。村正は悪い奴ではない、ということを、徳川家の象徴でもあるような物吉がわかっている。つまり、実際には村正を忌避した徳川家(少なくとも家康)はいないという宣言に聞こえました。

ちなみに、にっかり青江や大倶利伽羅が村正の妖刀伝説について特に知った様子がないのは、彼らが江戸にあった刀ではないからだと思われます。少し話が飛躍しますが、刀ミュの刀剣男士は、刀時代に見聞きした物事を記憶していますが、それは自身が見聞きできる範囲に限られているようです。よって、その時代に存在はしていても、自身の周囲で起きたことでなければその物事を知らないということになります。例えば江水散花雪の南泉一文字は、その時代にはとうに存在したはずなのに、井伊直弼の時代の歴史をあまり知りませんでした。これは、南泉一文字が尾張徳川家に伝来しており、江戸の事情に詳しくなかったことが理由でしょう。刀剣男士はすべてを見ている神様ではないので、あくまで人間と同じように、自分が見て知ることができる範囲において、歴史を記憶していると考えられます。したがって、主に江戸で広まった妖刀村正伝説を、江戸にいなかった大倶利伽羅は詳しく知らなかったのでしょう。かなり話が逸れました・・・妖刀伝説の話に戻します。

 

物吉が実質的に認めるほど、徳川に仇なす妖刀としての「事実」はないと考えられる村正。では本人たちはどうなのかというと、三百年の子守唄において、村正および蜻蛉切は、妖刀伝説に対して「そう言われている」と言うにとどめています。村正本人は、青江から妖刀伝説の真偽を尋ねられたとき、「そう思っている人が多いのは事実デス」と答え、信康事件の直前には、「信康を斬った刀も村正だと言われているのに」と発言していました。蜻蛉切も村正については、「あやつは家康公の祖父、それから父を斬った。そう言われている」と大倶利伽羅に説明しています。

ここで気になる点とすれば、ふたりとも妖刀伝説を、否定も肯定もしていない点。我々観客、少なくとも刀剣男士に好意的な印象を持っている側からすると、「徳川に仇なす妖刀であると誤った事実を与えられており、本人たちはそれを否定したいと思っている」ように受け取ってしまう台詞ですが、よく聞いてみると彼らは妖刀伝説を否定していないんですよね。もちろん、喜んで受け入れているようにも見えないのですが。

私が感じた限りでは、先に述べたとおり、妖刀村正伝説は根拠のない話であり、江戸時代に歌舞伎などを通して浸透していった噂に過ぎない。しかし、噂があったということは事実である。これを踏まえ、村正はその「妖刀と呼ばれる刀」という物語とその物語などに乗った人の想いをもって、刀剣男士として顕現したのではないかと思っています。

つまり、「妖刀村正」ではなくて「妖刀と言われる村正の刀」なのではないかと。紹介文を改めて見てみると、「長く妖刀として眼差しを向けられてきた彼の物語」とあります。あくまで妖刀として「見られてきた」ところに重きを置いているように感じられます。

よって、「刀工・村正がつくった刀」としてだけではなく、「刀工・村正がつくって江戸時代に妖刀伝説として広まった刀」が、刀剣男士・千子村正が生来持つ性質なのかもしれません。村正本人も蜻蛉切もそれをわかっているから、「そう言われている」と言い続けているのではないかと思うのです。それが不名誉な噂であったとしても、心情的に否定したいと思っていたとしても、「妖刀と呼ばれる刀」という物語=アイデンティティが付与されて顕現した以上、「村正は妖刀ではありません」とは、本人も蜻蛉切も言えないのでしょう。妖刀と言われてきた刀であることを含め、村正なのだから。なんか・・・切ないですね。

 

詳しくは葵咲本紀についての項で述べますが、蜻蛉切って本当に優しい人物だと思います。そのひとつが、この妖刀村正であることを、一度も否定したことがないところ。脱ごうとするときには脱ぐな、と止めるけれど、妖刀として振る舞うときにはそれを止めませんし否定しません。三百年の子守唄では、先に述べたとおり妖刀村正伝説を「そう言われている」と言うにとどめます。葵咲本紀では、自分を「妖刀村正デスよ」という村正に対して「そうだったな」とだけ返しています。途中、「徳川に刃を振るうのは妖刀であるワタシの役割」と話す村正に対し、一度「お前だって・・・」と発しかけるも、途中でやめていました。恐らくは、村正が持つ「徳川に仇なすと言われている」アイデンティティを否定しないためでしょう。本当に優しいし、思慮深いナイスガイだと思います。

 

 

3-3.蜻蛉切とは何か

蜻蛉切についても、まずは刀ミュ公式によるキャラクター紹介文を引用します。

 

天下三名槍のひとつで、村正の一派である藤原正真作の槍。笹穂の槍身で桶に美しい梵字と三鈷剣が描かれている。名の由来は穂先に止まった蜻蛉が両断されたという逸話から。

大きななりだが、性格は質朴で誠実。村正の唯一の理解者。」

 

ミュージカル刀剣乱舞 キャラクター紹介ページ

URL:https://musical-toukenranbu.jp/contents/character/autumn2019

 

ここから読み解けるのは、蜻蛉切が「村正の一派」である「藤原正真」によって作られたこと、「笹穂の槍身」であること、「村正の唯一の理解者」であること。説明文の中に本多忠勝の名はありませんが、それについてはわざわざ言及するまでもないのかもしれませんね。また、もうひとつ伝来していたという直穂の蜻蛉切ではなく、いわゆるメジャーな方の蜻蛉切で間違いないようです。

 

村正派双騎に向けて気になる点としては、やはり蜻蛉切が「村正派」として括られる点です。ゲームの話はあまり触れないとは言ったものの、蜻蛉切のゲーム設定の中でトップレベルに気になるのが軽装です。

 

https://twitter.com/tkrb_ht/status/1199251636738129920

刀剣乱舞-本丸通信-【公式】2019年11月26日投稿

 

ここまで露骨に村正をアピールするのが、正直当時は意外でもありました。しかしこうしたゲームの情報も加味すると、蜻蛉切というキャラクターにとって、自身が「村正」であることは、思っていた以上に重要なポイントなのかもしれません。

 

それでは、蜻蛉切が村正の一派であることについて考えていきたいと思います。

先に千子村正について述べましたが、村正派の祖は初代・千子村正。同じ村正の名を数名が継ぎ、その他に正重(千子正重)や正真(千子正真)がいました。正重の出自は様々な考えがありますが、一説には楠木正成嫡流出身だとも考えられていますさて、千子正真については、こちらもかなり諸説ありの人物。千子正真については、正重に次ぐ弟子ですが、出自についても確定的なことはわかっていません。また、「正真」という刀工については、伊勢千子正真、大和金房正真、三河文殊正真など、複数存在しています。村正派の系譜を継ぐのは、このうちの伊勢千子正真に該当します。

一方で、蜻蛉切の作者・藤原正真として有力であると考えられているのは、このうちの三河文殊正真だと言われています。三河文殊正真は千子派と技術的交流があったと伝わりますが、千子村正の直弟子とは言えません。前述の通り、千子村正の系譜を継ぐ正真は伊勢千子正真。なお、伊勢千子正真は、みほとせで青江が演じた酒井忠次の愛刀・猪切の作者とされる刀工です。それでは、蜻蛉切は村正派の刀工による槍ではないのか、ということになりますが。学説によれば、複数の正真は同一であったとも考えられています。三河文殊正真は、大和金房同じ人物だったとも、伊勢千子正真を加え3人とも同一人物だったとも言われており、未だはっきりとはわかっていないようです。

しかしここで着目したいのは、キャラクター紹介文で蜻蛉切が「村正の一派である藤原正真作の槍」と明言されたこと。この一文をもって、諸説のうちのひとつ、伊勢千子正真=三河文殊正真説を採用したのが蜻蛉切であると判断して良いのではないでしょうか。蜻蛉切は「村正の系譜を継ぐ藤原正真」の槍として顕現した刀剣男士。そこは疑わなくて良いのかもしれません。それはそれとして、刀ミュでその点における蜻蛉切アイデンティティや葛藤を描いてくれたとしたら、かなり美味しく頂かせていただきますがね!!

 

さて、蜻蛉切の作者である藤原正真が村正派であること=千子正真は確定した設定として受け取るとして。彼が千子村正と血縁関係にあったことは考えにくいと思います。仮に血縁があったとしても、蜻蛉切と村正というキャラクターの性質にはあまり反映されていないように見えます。村正派はお互いを兄や弟と呼んだことも、自分の親や子として呼んだこともありません。あくまで、同じ村正の系統の中にいる存在。仮に血縁があったとしても、親戚程度になるのではないでしょうか。葵咲本紀の話で再度触れますが、葵咲本紀で血や血縁がテーマとして描かれる中で、村正と蜻蛉切は自分達の関係を「家族・ファミリー」として改めて位置づけました。つまり村正派のふたりは、元々同じ家族・ファミリーではなかった。生まれながらの家族、つまり血縁関係にはなかったのだと思います。村正と蜻蛉切は、お互いを家族・ファミリーと呼び続けることで、家族・ファミリーとして繋がっていられる関係性なのではないでしょうか。放っておいたら切れてしまうほど、危うい繋がりの上にあるのが村正派なのかもしれません。

 

刀剣乱舞では、蜻蛉切の作者である藤原正真=伊勢千子正真ですが、先にも述べた通りこの説については立証されたものではありません。「蜻蛉切は村正派の刀工が作った槍である」とはあくまで説のひとつですし、あまり知られてもいないのが現状でしょう。実際、私も蜻蛉切が村正一派の刀工によるものだとは、刀剣乱舞に出合うまで知りませんでした。知って以降も、結局確証はないんでしょ、という認識が正直なところです。このように史実として立証されない、つまり他者から大々的に認められていないのですから、自ら発信し続けない限り、蜻蛉切と村正には繋がりが無くなってしまうのでしょう。「血の繋がりばかりが家族じゃねえ」とは、本当にその通りだと思います。でも、血の繋がりがない分、その関係が脆いのも事実。「捨てる」のひとことで崩れる、切ることができる関係性です。

 

蜻蛉切という槍は、戦国最強と謳われる本多忠勝が振るった無双の槍。そこに村正の一派であるという説を付さなくても、正直、物語の強度は十分でありキャラ立ちはできています。

村正がそうであったように、どの物語が乗って顕現するか、刀剣男士に備わる性質は、(少なくとも現時点でわかっている限り)刀剣男士本人が選ぶことはできないようです。もし選べるのであれば、村正も妖刀伝説を省いた、それこそ妙法村正のような、本来の村正刀として顕現したかもしれません。

蜻蛉切が、自身が村正の一派であることに対してどのような思いを抱いているのかは、作品の中ではあまり触れられていないため、彼の心情はわかりかねます。妖刀伝説は決して良い内容ではありません。根も葉もない噂であり、しかもその内容は、自ら(の主)が忠誠を誓う徳川家に仇なすというもの。噂でこそあれ、徳川家に刃を向けるという要素を持つということは、蜻蛉切自身のアイデンティティにもなっている徳川家への忠誠心にマイナスの影響を与えるように思えます。私の素人的感覚からすると、正直ちょっと邪魔じゃん、とか思っちゃう。マイナスの印象であるばかりか、その根拠にも乏しいわけですから、取っ払ってしまいたい。そう思ってしまうかもしれません。

三百年の子守唄の時点では、蜻蛉切も妖刀伝説に対して、あまり良い印象を抱いていないような印象を受けたのですが、葵咲本紀を通して蜻蛉切の中で大きな変化が生じたのだと思います。

非常に嫌な言い方をしますが、葵咲本紀では村正であることを捨てるチャンスが到来しました。「誰がために」のあとで再度時間遡行軍に襲われた際に、村正が「ワタシを捨てて行きなさい」と言う場面。葵咲本紀については後ほど詳しく触れますが、ここでの村正の「捨てて行きなさい」というのは、村正という刀剣男士ひとりに限らず、妖刀村正に関連する「蜻蛉切自身の村正派である部分」を捨てて行け、という意味を含んでいたのではないでしょうか。繰り返しますが、蜻蛉切は村正派という要素を無くしたとしても十分強い物語を持った槍です。ここで村正派であるという立証すらされていない説を捨てたところで、刀剣男士・蜻蛉切という存在は揺るがないのかもしれません。それでも蜻蛉切は、村正を捨てるという選択を「馬鹿馬鹿しい」と即否定します。後述しますが、ここでの蜻蛉切は村正をひとりの人間として捉えているため、ふたりのやり取りにやや齟齬がある状態ではあるのですが、それを含めても、蜻蛉切は直感的にであっても村正であることを捨てる気がないことがわかります。

蜻蛉切にとって「村正であること」とは何なのでしょうか。もしかしたら、私が想像しているよりもずっと、村正であることを好意的に捉えているのかもしれません。

 

3-4.蜻蛉切の記憶

有名な割に作られた年や詳細があまりわかっていない蜻蛉切。作者である藤原正真とされる「正真」の銘などから、1500年代前半頃に作られ、本多家に伝来したと推察されます。これは妙法村正が作られた年代とおよそ一致します。

蜻蛉切の主となる本多忠勝の生没年は1548年~1610年。生涯57回の合戦で傷ひとつつかなかったという伝説が残る武将です。格好良すぎませんかね。蜻蛉切本多忠勝の槍として合戦に使用されているのは、1572年(元亀3年)の一言坂の戦い、みほとせでも描写された姉川の戦いなどがあります。関ヶ原の戦いのあと、1601年に本多忠勝は桑名へ移封となり、同年に蜻蛉切の長さを短く変更。1604年に病を得て、1609年に隠居するまでは、本多忠勝は家康の側で江戸の中枢にいたと考えられます。蜻蛉切も忠勝の側にあったと考えれば、少なくとも隠居までの江戸での出来事は、彼の記憶に残っているのでしょう。

江戸時代初期の徳川家の中枢にいた蜻蛉切は、有名無名含め戦場で多く使われた村正を見てきたはずです。徳川家では、村正御大小も見かけたかもしれません。同年代に作られた妙法村正や桑名奉刀とも面識があった可能性もあります。村正は徳川家に仇なす妖刀ではなかったことを、身をもって記憶しているはずです。蜻蛉切の立場からすれば、自分を作った刀工の師匠が作った刀が村正です。敬意に近い思いを抱いていてもおかしくないでしょう。しかしその後、自分が江戸を離れたのちに、あれよと言う間に村正には妖刀伝説が付されていってしまいました。江戸時代を通して妖刀として忌み嫌われ、幕末には倒幕の象徴として反幕府派のアイコンにもなっていく村正を、現存する蜻蛉切はずっと見つめ続けてきたのでしょう。村正の系譜を継ぐひとりとしてはもちろん、自分とは別に存在する「村正」の評価が変わっていく様子も、蜻蛉切は知っているはずです。

刀や槍であった時代に、彼らに心や感情はありません。ただし、刀剣男士として肉体を得た瞬間に、刀や槍であったときの記憶とともに心や感情が生まれます。蜻蛉切がこの記憶をもって人としての感情を得たとき、この事実を彼はどう受け止めたのでしょうか。それが、刀剣男士・蜻蛉切の行動に現れているのだと思います。

 

  • ミュージカル刀剣乱舞における「心」とその成長

刀ミュにいては、記憶と心は明確に区別されています。刀であった頃から持っている記憶に対し、心は刀剣男士として顕現してから、人の身を得てから育っていくもののようです。さらに心の成長も、段階を経ていく様子が見て取れます。心の成長段階とは何で、村正派のふたりはどの段階にいるのかを考えていきたいと思います。

 

4-1.刀ミュにおける「記憶」と「心」

刀ミュにおいては、刀時代の記憶について一定のルールがあるようです。先に蜻蛉切の記憶の際にも少し触れましたが、基本的に刀剣男士(刀)が記憶しているのは、彼ら自身が見聞きした出来事のみだということ。いくらその時代に存在していた刀でも、自分が知り得ない条件や場所にあった物事を知ることはできません。例え室町時代に作られた刀であっても、以降の戦国時代、江戸時代に起きたすべての歴史を把握しているわけではないのです。スマホや情報伝達が容易でない時代の人間と同じで、自分が見たり聞いたりした内容以外は、基本的には記憶できません。関西にいた人が東京で起きた事件について知り得ないように、京都にあった刀が江戸での出来事に疎いのは当然でしょう。例えば南泉一文字は鎌倉時代に作られた刀ですが、江戸時代には尾張徳川家にありました。江水散花雪において南泉一文字が、江戸の中枢部で起きた井伊直弼桜田門外の変についてあまり知らなかったのも納得がいきます。同じように、静かの海のパライソの浦島虎徹が、自分が作られる以前の出来事である島原の乱について知らないのも当然と言えます。もちろん、任務や仲間とのやりとりを通して知識を深めた結果、直接見聞きしていなくても知っている歴史が増えることはあるでしょう。あくまで顕現したばかりの刀剣男士のベースに関する話です。

逆に言えば、自分が見聞きした部分の歴史や付された物語に関しては、記憶がないなどの特別な事情を除いて、恐ろしいほどの膨大かつ繊細な記憶を有しています。元主のこと、自分にまつわる噂、駆け抜けた戦場の様子まで。その記憶が戦う上で役立つわけなのですが。

また、刀時代に面識がある者同士であれば、人の姿で会うのは初めてであっても、お互いを認識することができるようです。村正派でいう、「久しぶりデスね、蜻蛉切」「この間会った気もするが」になるのでしょう。同じ時代に存在していたとしても、元主や保管された・使われた場所が違えば、刀同士の面識もありません。

 

刀ミュにおいて、記憶と心は区別されています。刀であった時代は記憶だけを持ち、刀剣男士として人の肉体を得ると心が備わる。三百年の子守唄において、大倶利伽羅は「物でいられたうちは良かった」「この心というのは戦うには邪魔すぎる」と発言しています。にっかり青江単騎出陣では、青江が刀剣男士として顕現し悲しいという感情を抱いてしまうことを憂い、刀のままでいさせたかった心情を吐露しています。このことからも、刀時代には感情はなく、刀剣男士となった際に心や感情が付されることがわかります。したがって、刀剣男士の人間的成長=心の成長は、刀剣男士として働くようになってから徐々に育っていくことになります。

 

4-2.心の成長段階

 

パライソについての話の中で触れたものですが、刀ミュにおける心の成長段階の話を改めてしたいと思います。パライソでよく出てきた白・黒・青・赤の4色は、刀ミュで描かれる人の人生の段階に象徴的に表現されています。

先に結論からまとめると、人は以下の順に人生の段階を巡っていきます。

誕生→未熟→成熟→老死→再生(誕生)→未熟→成熟→老死→……

かなり偏っているし大雑把だけど、刀ミュにおける人生ってこんな順番で巡ると言えるのではないか、と私は思っています。再生=生まれ変わりがあるかどうかという点については、個々の死生観等によると思いますが、「めぐる」「繰り返す」というテーマを散々用いてきた刀ミュにおいては、再生という段階を置いても良いのではないかという私なりの解釈です。

 

さて、①誕生②未熟③成熟④老死というのは、先に述べた4色(白・黒・青・赤)が持つ意味と重なります。

  • 誕生=生まれたままの無垢な「白」
  • 未熟=発展途上でフレッシュな青春の「青」
  • 成熟=経験を積んで熟した「赤」
  • 老死=すべてを終えて老い死ぬ「黒」

といった具合です。つまり人生は、白→青→赤→黒→また白……と巡っていくのではないでしょうか。その中で、心の成長によって移行できる青から赤への移り変わりが、見事かつ丁寧に描かれるのが刀ミュの特徴であり面白いところのひとつだと思っています。

 

パライソでの表現ではこれらの段階を、それぞれ空や海の色と照らし合わせながら見事に描いていました。松井江と豊前江の「明け暗れ刻」からわかるように、松井にとっての青→赤への成長は夜明けとして表現される。ここで一点、4色の巡りに注釈を加えますと、赤=夜明けとなると、赤の前段階は夜=黒ということになり、青ではない。これは、「夜明け前が一番暗い」ことの表現ではないかと私は思っています。何事も乗り越えなければならない際には、痛みが伴うもの。明け暗れ刻、つまり赤を迎える前には黒が挟まるというように受け取ることができます。これを踏まえると、人生の巡りは、白→青→(黒)→赤→黒→白となると言えるのではないかと。特にパライソの松井は、青→黒→赤の移行を象徴的に見せたキャラクターだったのではないかと思っています。

 

刀剣男士として生きるとは、任務とはどういうことか。出陣時にこれを知らない段階だった刀剣男士は、フェーズとしては「青」に分類することができます。自分自身の役割を知り、自分自身を愛する段階とも言い換えられます。

青フェーズにおいて、自分の役割を認識した者は、刀剣男士としてのアイデンティティを確立している。すでにアイデンティティを確立した上で、さらに仲間のサポートをできる者は「赤」のフェーズと言えるのではないかと思います。例えば、仲間や大切な人のために、自らがつらい役割を背負う選択ができる者。自分の役割以外に、他者を愛することを知っている者。これが「赤」のフェーズにいる刀剣男士だと思います。

以降の黒や白については、今回は割愛させてください。

 

4-3.刀ミュにおけるキャラクターの成長について

そもそも刀ミュに限らずですが、刀剣乱舞のキャラクターって、その刀が作られた年代と精神年齢があんまりリンクしていません。比較的最近作られた和泉守兼定が一番精神的に幼いかというとそうではないでしょう。和泉守よりもかなり古い年代に作られたはずの粟田口の短刀たちの方が、どちらかと言えば精神的に幼い印象のキャラクターとなっています。つまり刀剣乱舞においては刀剣男士の見た目=身体的成長に精神年齢を合わせているように見えます。これは、刀ミュにおいても同様。今剣は幼い子どもとして扱われるし、和泉守は、フレッシュさはあるが青年として扱われています。つまり顕現したての時点で、見た目年齢同等の精神を持つキャラクターとして登場するのです。見た目=精神年齢となると、刀ミュには見た目=精神年齢が10代後半以上のキャラクターが多いですよね。

 

さて、では刀剣男士がどう成長するかというと、まず成長において見た目が老けることはありません。つまり、成長と言えば経験による心の成長になるわけです。その心の成長のベースや素材になるのが愛なんじゃないか、と私は分析しています。

また、刀剣男士は人の体を得て顕現します。先に述べた通り、彼らは刀剣男士となる瞬間に心を得ています。今まで持っていなかった「心」が、刀剣男士となった瞬間に感情として胸に宿るわけです。そりゃあ五陰盛苦感じちゃうよねっていう。

したがって、だいたい見た目と同じくらいの精神性は持ちつつも、心を持つのは初めてな刀剣男士たち。任務を通じて対面した出来事を通して持つ感情は初めて経験するものばかりでしょう。人間の心を持つ1年生として、彼らはどのように成長していくのかを考えます。

 

まずは成長段階について。基本的には刀ミュに登場する刀剣男士たちも、エリクソンの発達段階(課題)なぞらえて描かれているように思えます。エリクソンの発達段階については、発達心理学者のエリクソン先生が提唱した8段階のステージのこと。私よりも以下のサイトさんの方が説明上手なので、ぜひご参照ください。

ライフサイクル | 武蔵浦和メンタルクリニック | さいたま市南区

 

このエリクソンによる発達段階は、生まれてすぐの0か月~1歳半頃までの乳児期をはじめ、1歳半~3歳の幼児期初期、3歳~6歳の幼児期後期、6歳~13歳の学童期、13歳~20歳の青年期、20歳~40歳の成人期、40歳~65歳の壮年期、そして65歳以上の老年期までの8段階に分けています。

※分け方については、別説もあるのでだいたいこんな感じと捉えていただければ。

 

刀ミュの場合、先に述べたとおり見た目年齢に照らし合わせると、ほとんどのキャラクターが青年期くらいの見た目にあります。したがって、刀剣男士らは顕現時点で青年期程度の精神を持っていると仮定。ここを起点に、様々な経験を経て刀剣男士が心を持った人として成長していく姿が刀ミュでは描かれているのではないだろうか、と考えたわけです。

 

各段階を見ていくと、まず青年期の課題は自我同一性(アイデンティティ)の確立。つまり、自分は何者であるのかと自己を見つめ、自分の役割に気付くこと。刀ミュにおいては「役割」という言葉はしばしば用いられてきました。刀剣男士としての自分の役割に気付くことができれば、忠誠心や帰属感に繋がります。自分の役割を受け入れて刀剣男士のひとりとして前を向いて進んでいく姿は、刀ミュの作品でたくさん描かれてきました。これこそ、青年期の発達課題をクリアする=成長する姿ではないかと私は感じたわけです。

 

青年期の例として、顕現したての刀剣男士はほぼ最初にこの課題にぶち当たります。大切な元主を前にして、自分はどうするべきなのか。過去の経験を目の当たりにして、刀剣男士として任務を遂行することができるのか。パライソなら、浦島や松井江がこの段階に位置していました。この刀剣男士としてのアイデンティティを確立する段階を、先に述べた「青」だと私は考えています。青年という言葉通り、まだフレッシュで自らの役割が何なのかを模索している段階。多くの場合、刀ミュではまだ経験の浅い刀剣男士が青=青年期のフェーズにいる状態だと思っています。歴史を守るとは何か、かつての主と向き合ったときに刀剣男士としての自分はどのような行動に出るか、こういった課題と対峙するのは青年期=青のフェーズにいる刀剣男士。自分とは何か、何ができるのか、どう生きるのかという自分の役割と課題と向き合う彼らはめちゃくちゃ熱いですよね。

刀ミュにおいて繰り返し伝えられるのは、「誰かのために戦える者は強い」ということ。葵咲本紀の村正の台詞にもありました。刀剣男士が青年期の課題を乗り越える際には、皆誰かのため、大切な相手を守るために戦うことになります。誰かを愛する、つまり「誰かのために戦える」ことは、自分の役割を確立することに繋がるのだと思います。

 

さて、そんな青年期を過ぎたら、次に訪れるのは成人期。ここでの課題は信頼できる人物との親密な関係の構築です。ここで大切な人や仲間と良い関係=親密性を築ければ、幸福や愛を得ることができる一方で、他者と深くかかわらずに回避や距離をとれば孤立に繋がっていく。こうした課題も、刀ミュでは多く毎回描かれてきました。そうした同部隊の仲間や特別な誰かとの絆が深まるエピソードは、成人期の発達課題になぞらえることができます。

 

成人期は、あおさくの村正が顕著な例でしょう。妖刀と呼ばれた自分が刀剣男士として任務に当たる中で、蜻蛉切という特別な人物との親密性を築きます。自らの命を懸けても守りたい存在としてお互いを認識することで、村正は親密性を獲得することができました。もし村正が蜻蛉切との親密な関係を築けずに、妖刀としてひとりきりで生きていくことを選択していたら、村正は孤立し成長は停滞してしまっていたかもしれません。村正を例に挙げましたが、この成人期には長曽祢虎徹堀川国広らも該当すると言えます。

こうした他者との関わりの中で愛情や親密性を育んでいく成人期の段階は、「赤」のフェーズだと考えられます。他者との愛がキーワードになるので、イメージ的にも赤がぴったりなんじゃないかなって。

自分が刀剣男士としてどう任務に当たるかというアイデンティティは確立できた上で、仲間や大切な人のために何ができるのか。もしかしたらそれは、大切な人のために自らが刃を振るうことかもしれないし、つらい役割を引き受けることかもしれないし、嘘をつくことかもしれません。

また、愛するだけでなく愛されることも、成人期=赤のフェーズにいる刀剣男士の課題。パライソの中で天草四郎が歌った「愛し愛され許され生きる」ということは、人として生きていく上で、また成長していく上で欠かせない定義だと考えます。「誰かのために戦える」だけでなく、自分がその「誰か」になることを受け入れる。成人期の親密性を得るには、愛されることを許すことも必要なのかもしれません。

 

また、この赤段階が一区切りでもあります。それはこの成人期=赤の段階をクリアした刀剣男士が、極の修行に出かけるから。「誰かのために戦えるものはそれだけで強い」と語られた通り、このフェーズに到達した刀剣男士は愛情深く、そして強い。

例に挙げた村正はじめ蜻蛉切も、長曽祢、堀川、安定、和泉守、今剣も、修行に行く直前の出陣では、皆誰かのためを思って行動していました。そして同時に、誰かに想われる経験もしています。「誰かのために」のその「誰か」になることも、愛を受け止めるということなのだと思います。

 

さて、成人期も過ぎたら、次は壮年期。壮年期の課題となるのは世代性の獲得、つまり次の世代や後輩を育てていくフェーズです。この課題がクリアできないと、次世代と関われない、自分のことだけを考える自己停滞となってしまいます。課題をクリア=次の世代に継承していくことで、世話の能力を得られる。刀ミュでもこの段階に達した、つまり極修行から帰った刀剣男士がいますね。段階的には「白」と言っても良いのではないでしょうか。

 

この段階がわかりやすいのが我らが兼さん。修行から戻った和泉守は、顕現してから日の浅い後輩刀剣男士たちの面倒を見る姿が顕著に描かれます。自分が経験してきたことを踏まえ、肥前はじめ若手の刀剣男士に寄り添う姿勢が印象的でした。自分の役割や誰かへの愛を抱えながら、後輩刀剣男士という次世代を育てようと世話をしている段階。非常に頼りがいのある兄貴分として立派な姿が描かれており、これはもう一段成長したと言っていいのではないかと思うわけです。

 

刀ミュは、こうした成長過程を描く物語が決して無機質ではないところが本当に素晴らしいと思っています。出陣して、元主と戦うことに葛藤して、敵を倒して、仲間との絆を得て、これからも頑張るぜ!という基本形を持ったストーリーではあるんだけど、その過程ひとつひとつに必ず愛というものが詰まっている。それは自己愛でもあるし、元主や触れ合った人間、仲間や特別な関係の人物との愛など。誰に向いているのかも、どういう形で示す愛なのかもそれぞれ違うけど、物語のどこを切り取っても愛を欠くことがありません。先述した成長段階を1段上がる際にも、必ず彼らは愛に触れています。自分を愛し、他者を愛し、愛されることで人は次のステップに行けるんじゃないかな、なんて思っています。

 

4-4.村正と蜻蛉切の成長

村正と蜻蛉切については、刀ミュにおける成長段階のどの部分に位置しているのか。先に私の結論から言うと、成人期=赤のフェーズを超えたところだと思っています。だから、ふたりとも旅に出たということでしょう。出演作品から、ふたりの成長を追っていきます。

 

4-4-1.村正の成長

村正は三百年の子守唄冒頭にて顕現して、心というものが良くわからない、それこそ生まれてすぐの状態で任務に当たることになりました。顕現したばかりの村正に備わっているのは、切れ味の鋭い村正刀であるという意識と、妖刀として目を向けられ続けてきた記憶です。三百年の子守唄再演では、初演に比べて太田さんの演技にかなり変更がありました。その変更の中でもとりわけ顕著だったのが、作品前半における村正の無機質さ。初演では割と序盤からコミカルな様子で笑顔も見られたのですが、再演の村正は、どこか冷たさというか人の心を持ち合わせていないように見えました。それが時の流れとともに、だんだんと感情豊かでチャーミングなキャラクターになっていく。再演の際に変更されたこの村正の振る舞いは、村正の人間らしさが、後付けで育っていったことを意味しているのだと感じました。仲間たちと触れあい、人と触れ合うことで、村正は記憶だけを持った刀の擬人化から、ひとりの人格を持った人間(刀剣男士)として成長していったのでしょう。

刀剣男士として顕現した村正は、青年期の課題として自己のアイデンティティの確立をすることになります。他の刀剣男士は、この青年期の課題への葛藤が見えやすいのが特徴です。「元主が死にゆく歴史を守らなければならない」、「元主を斬らなければならない」といった任務に臨んで葛藤する刀剣男士の姿は、刀ミュでは何度も描かれてきました。これらは青年期における課題を乗り越える姿と捉えることができます。

村正においては、見えにくく描かれていましたが、三百年の子守唄の任務において「自分が妖刀と呼ばれる世界を作らなくてはいけない任務」に向き合っていました。徳川家康がいなければ江戸幕府は誕生しない。つまり妖刀伝説は生まれないわけです。村正自身がどの程度この任務に対して葛藤していたのかはわかりません。妖刀伝説と徳川家康について冗談めかしく触れることはありましたが、さすがと言うべきか、表立って任務を妨害したり、感情を露わにしたりすることはありませんでした。結果的に、徳川家の面々や仲間達とのやり取りを通して、村正は任務遂行を選択します。信康自刃の場面において、信康を斬れなかった石切丸を見て、村正は誰よりも先に刀を抜きました。検非違使が登場したために、村正が信康を手にかけることはありませんでしたが、少なくともあの場面において、村正は任務遂行、そして「信康を斬った村正」という逸話を獲得するために行動しようとしたということ。妖刀伝説を持つ自分への葛藤を乗り超えたと見ることができます。

これは、大切な仲間達に悲しい思いをさせないため、妖刀伝説を持つ自分が信康を斬ろうとしたとも見ることができます。つまり「誰かのために戦える」強さを、村正は得たのではないでしょうか。

 

葵咲本紀では、青年期を超え、成人期の課題に取り組むことになります。あおさく冒頭の時点で、村正は既に信康への愛を抱えていました。葵咲本紀の舞台は1600年であり、信康の死から20年以上が経過しています。なお信康が誕生したのは1559年。村正が「裸のおじさん」として信康に接触していたのを1570年頃と仮定すると、村正は信康を30年以上思い続けているということです。観客としては、みほとせのすぐ後の出来事という印象がありますが、村正たちにとっては長い年月が経っているため、その間でさらに心や感情が育っていたと考えるのは妥当でしょう。

ましてや村正は顕現すぐにみほとせ任務に派遣され、そのまま57年間という時間を過ごしてきたという特殊性があります。刀剣男士としての意識よりも、人間(井伊直政)としての意識の方が強いのではないでしょうか。

とにかく村正は信康、そして側にいた仲間たちに対して愛情を持っていたことがわかります。信康の仇を取りたいと一人復讐に燃えていた村正でしたが、葵咲本紀の物語の中では

蜻蛉切という特別な人物との親密性を築くことになります。成人期の課題に必要なのは、愛することだけではなく愛されること。村正は、互いを思い合える存在を得たことで、成人期の課題をクリアしました。村正が得た蜻蛉切の愛については、「俺も村正だ」と事実に寄り添ってくれたこと、そして自分の「心」という真実に寄り添ってくれたことではないでしょうか。これについては葵咲本紀の話の中で詳しく触れる予定です。

作品の範囲外にはなってしまうのですが、葵咲本紀の大千秋楽における村正(太田さん)の「ワタシたちは決して、孤独ではないのデスよ」という言葉が非常に印象深く心に残っています。孤独ではないこと、寄り添ってくれる人からの愛を受け入れられていることは、人にとっての成長に繋がるのだと思います。話が逸れましたが、村正については愛し愛されることで、もうひとステップ進んだ人物、と見ることができました。

 

4-4-2.蜻蛉切の成長

蜻蛉切については、刀ミュ本丸の中でもかなり古株な方だと思っています。三百年の子守唄の冒頭時点で、蜻蛉切は既に村正以外のメンバーとも既に友好的な関係を構築していました。また葵咲本紀では、刀ミュ本丸における最古参枠と推定される鶴丸とも親しく、一声で連携技を出せるくらい御手杵とも慣れ親しんだ間柄であることがわかります。戦闘においても、検非違使以外に手こずる様子もなく、安定して高い戦闘能力を見ることができます。刀剣男士としてはかなり成熟しているのでしょう。

 

そもそも、蜻蛉切は刀ミュに登場する刀剣男士の中では特殊な位置づけにあるキャラクターだと思っています。刀剣男士は、刀にまつわる物語や関わってきた人々の想いなどをもとに顕現しています。それぞれ個性がありますが、刀剣男士は大きく3つに分類されると私は考えます。

 

・元主(持ち主)であった人物の性格や特徴を反映したもの

長曽祢虎徹和泉守兼定陸奥守吉行など)

⇒外見や性格が元主(またはそのイメージ)に似たキャラクターとしてデザインされていることが多い

・刀工や刀剣本体の来歴や特徴を反映したもの

三日月宗近、明石国行、石切丸など)

⇒刀工自体のイメージや置かれていた状況によってキャラクター性がデザインされていることが多い

・その刀剣にまつわる物語や逸話に準じたもの

(小狐丸、今剣、にっかり青江など)

⇒真偽を問わず、その刀にまつわる話の登場人物をモチーフにデザインされていることが多い

 

刀剣男士のメインとなる性質は、この3つのどれかに分類されるのではないでしょうか。もちろん、2項目以上を兼ねているものもいますし、どれにも分類しがたいものもいます。あくまで説明用に、ざっくりと分けて考えた場合として受け取ってください・・・!

 

蜻蛉切は、このうち「元主(持ち主)であった人物の性格や特徴を反映したもの」に分類されます。ここで、刀ミュのテーマでもある「刀剣乱舞」における、蜻蛉切の歌詞パートを見てみましょう。

 

「今馳せ参ず 武人の誉」

「みなぎる力 無双の槍よ」

「天下無双の槍 触れれば切れるぞいざ覚悟」

 

カッコイイ!!と褒めたたえたいところを我慢して。

基本的には戦場で無双する武人としての性質を見ることができます。蜻蛉切の性格や行動を見ても、彼は典型的な武人キャラとして描かれていますよね。「本多忠勝の槍です」とプロフィールにこそ記載されていませんが、蜻蛉切が元主の性質を持っていることは明白でしょう。蜻蛉切に与えられた特徴は、元主である天下無双の猛将・本多忠勝の性質やイメージが強く反映されていることがわかります。

 

さて、この「元主(持ち主)であった人物の性格や特徴を反映」して顕現した刀剣男士のうち、蜻蛉切だけがある種の特殊性を持つと私は思っています。それは、元主が敗者にならないという点。本多忠勝は57回戦って無傷だったという伝説も残る、まさに戦国最強と謳われた武将です。「ただ、勝つために」の中でも「無敗を誇り 無双を貫き 無傷で帰って参る」と歌われていました。本多忠勝という武将は「負けなかった」という物語を持つ人物で、その部分が他の、少なくとも現時点で刀ミュ本丸に顕現している刀剣男士とは異なる点ではないかと思うのです。「元主(持ち主)であった人物の性格や特徴を反映した」刀剣男士のうち、「負けない」という物語を持つものは、他にいません。まあ、そもそも歴史の中で勝者になる人の方が珍しい気もしますが。歴史上の勝者、つまり歴史に名を残した人物は多くいます。刀ミュに出たところで言えば、徳川家康とかね。しかし刀ミュにゆかりのある歴史上の人物の中でも「無敗伝説」を持つのは本多忠勝のみでしょう。

なぜ「負けない」という部分が気になるのかと言うと、元主への愛や想いと、刀剣男士としての任務の方向が一致するからです。「本多忠勝が負けない」という正しい歴史が確立されている以上、蜻蛉切は任務をこなすことで正しい歴史を守る、つまり元主の輝かしい功績を守っていることになります。刀剣男士の任務=時の政府の意向と、蜻蛉切の意向が一致しているのです。

 

刀剣男士は元主への愛を持っています。ゆえに、歴史の中で無念を感じた元主や報われなかった元主に対して、刀剣男士として改めて面したときに、どうにかしてやりたいとか歴史を変えてしまいたいといった感情を持ちます。ある種の後悔と言っても良いのではないでしょうか。助けられなかった、何もしてやれなかった、といった、元主が「負け」てからずっと長くくすぶっている気持ち。阿津賀志山異聞の今剣も、幕末天狼傳の新撰組刀の面々も、結びの響き、はじまりの音の和泉守兼定も、心と任務の狭間で苦悩してきました。自分が守りたい元主と、守れなければならない歴史・任務の中で葛藤する。その心の機微などが刀ミュの見どころのひとつでもありますが。

多くの刀剣男士はこうした心と任務の間で葛藤することになるのですが、蜻蛉切にはそれがない。そこが蜻蛉切の特殊性だと思っています。それでは蜻蛉切に葛藤はないのかというと、それは「村正」という属性において存在しているのだと思っています。この話はこの場では割愛しますね。

 

成長という観点の話に戻します。

刀剣男士は、己の来歴や特質にまつわる歴史と、刀剣男士として心を得た上で持った感情との間で揺れ動きます。悲しいとか、受け入れたくないとか。それでも誰かのために刃を振るう、任務を全うすることで、刀剣男士としての自分の役割を自覚します。これが青年期に当てはめられる成長だと私は思っています。繰り返しますが、多くの刀剣男士は元主や自分の来歴などに後悔と呼べるような部分があり、その点が揺らぐような場面に臨んだときに、成長のチャンスが訪れます。

では蜻蛉切にとっては、これはいつのことだったのか。蜻蛉切は先に述べた通り、任務に当たる上で、元主にまつわる過去を変えたい(任務をこなしたくない)と思うような葛藤がありません。三百年の子守唄のときの蜻蛉切を振り返ると、彼が苦悩したのは自分が本多忠勝に成り代わること。つまり、蜻蛉切は刀剣男士・蜻蛉切ではなく、本多忠勝と自身を同一のものとして取られていたのではないでしょうか。蜻蛉切が向き合うべき課題は、自分は「無敗の猛将・本多忠勝」ではなく、別人格を持つ「刀剣男士・蜻蛉切」としてのアイデンティティを確立することだったように思います。

蜻蛉切は既に本丸において信頼も獲得しており、刀剣男士としての意識や歴史を守るという任務に対して、納得感をもっていたはずです。他の多くの刀剣男士のような葛藤が無かった分、その点に関してはスムーズに任務に当たっていたことでしょう。しかし、本多忠勝という元主の物語に関与し、さらに本多忠勝を演じるという自己同一性を揺るがしかねない難しい状況において、蜻蛉切本多忠勝になることはできない、という感情を抱きます。真面目な蜻蛉切にとっては、自分が本多忠勝を演じるということは大変な重荷だったはずです。そんな中で、物吉から「蜻蛉切本多忠勝ではないし、ならなくていい」と言われたことは、蜻蛉切にとって、ある意味で本多忠勝との繋がりを薄められる良いきっかけだったのだと思います。あのままでいたら、蜻蛉切は自己同一性を確立できず、個人である刀剣男士・蜻蛉切アイデンティティは無くなってしまい、ずっと本多忠勝に縛られ続けることになったかもしれません。結果的に、物吉の言葉に背中を押され、蜻蛉切本多忠勝を演じることで、結果的には彼の「無敗」という歴史を守ることになりました。他の刀剣男士の向き合い方とは違ってはいましたが、蜻蛉切の場合は、自分が本多忠勝に成り代わるという避けたい任務に対し、他の誰でもなく「本多忠勝のために」、「刀剣男士として戦う」ことで乗り越えたと言えます。

 

三百年の子守唄で刀剣男士・蜻蛉切というアイデンティティを確立した蜻蛉切は、葵咲本紀では、成人期の課題である、愛すること・愛されることを経験することになります。任務や自分自身と向き合うことができた蜻蛉切でしたが、葵咲本紀冒頭では心の面においては未熟な状態でした。もちろん感情自体は蜻蛉切にも備わっていましたが、考え方は理性的であり「事実」ベースであることは変わりません。しかし村正の持つ感情や心といった、熱を持つ人間の部分に触れることで、蜻蛉切は事実だけでなく真実の部分に寄り添うことができました。ここについても後ほど触れる予定ですが、村正から守ろうとされた、そして美しいと言われたことは、蜻蛉切にとって愛を受けとるという点で大きい出来事だったのではないかと思います。三百年の子守唄そして葵咲本紀を経験したことで、蜻蛉切は愛し愛されることができました。「ただ、勝つために」と「誰がために」というふたつの「~ために」という本心から、その対象は対比的でありながらも、それらへの愛をもって成長する蜻蛉切の姿が伺えました。すごく美しく、綺麗にまとまったなあという印象です。

 

葵咲本紀において成長した蜻蛉切ではありますが、一方で若さやがむしゃらさを感じるシーンも見られます。作品の中で明石が言う「青春」がぴったり。刀剣男士として成熟しているので、基本的には冷静な判断ができるのですが、あおさく任務の中では時折青春らしいがむしゃらさを感じることもありました。家康から責められそうになる村正を庇う、負傷した村正に対して本体の槍を捨てて駆け寄る、「誰がために」のあとの遡行軍襲撃の際には(村正を置いていかないことで)全滅する選択を選んでしまうなど。この他にも、自分が定めた物事に関しては、他者の声を聞かずに突っ走る傾向にもあります(例:「ただ勝つために」の一騎駆け)。明石は、誰にでも秘密があるという旨を歌いますが、蜻蛉切のひとつが「成熟してそうに見えて、実は青春時代にいる人物」という点なのではないでしょうか。

 

  • ミュージカル刀剣乱舞における村正派の行動の整理

村正派が出演していた刀ミュ本公演2作品、三百年の子守唄と葵咲本紀において、村正派のふたりはどのような行動をしていたか、今一度振り返ってみます。

まずは前提として、この2作品の舞台となった時代を整理したいと思います。

みほとせ・あおさく年表

 

※画像についてはおおまかな出来事を記載しました。

 

「2.村正と蜻蛉切が登場する公演」にて簡単にまとめましたが、みほとせ・あおさく出陣は江戸のはじまりから徳川家康の死去までの時期の物語です。具体的には、時間遡行軍の襲撃から家康を保護した1543年(天文11年12月)から、家康が亡くなる1616年(元和2年)まで。およそ73年間が舞台となっています。なお、葵咲本紀はこの中でも1600年7月25日、小山評定が行われた日の夜の話です。

にっかり青江・大倶利伽羅の支援任務として1543年に派遣された村正と蜻蛉切は、そのままみほとせ任務(家臣への成り代わり)に入るため、葵咲本紀の時点では58年間任務を継続していることになります。蜻蛉切としては、御手杵との再会は体感58年ぶりだったわけですね。それは嬉しそうな声色にもなりますわ。また、葵咲本紀の時点で井伊直政は39歳、本多忠勝は52歳。村正と蜻蛉切も、子ども時代の成り代わりはしていないにしろ、少なくとも井伊直政本多忠勝の年齢分は彼らの人生に沿っていることになります。なお、その後も村正は井伊直政が亡くなる1602年、蜻蛉切本多忠勝が亡くなる1610年まで任務を続けました。

 

6.          三百年の子守唄

三百年の子守唄について、考えていきたいと思います。みほとせ任務とは何だったのか。三百年の子守唄における村正と蜻蛉切の姿、そしてふたりの関係性の変化についてまとめます。

 

6-1.三百年の子守唄の任務について

三百年の子守唄については、任務が2つあるという珍しいタイプの出陣でした。徳川家の家臣として徳川家康を育てて江戸幕府を成立させることだけに注目してしまいがちですが(実際私もそう思っていたのですが)、作品冒頭で任務が切り替わっています。

 

三百年の子守唄における任務のきっかけは、徳川広忠と家臣たちが時間遡行軍に襲撃され、遠征帰りに居合わせたにっかり青江とが駆けつけたことでした。本丸には青江と大俱利伽羅が消息を絶ったという知らせが入っており、審神者はその状況でまず石切丸に任務について相談をします。石切丸は、「難しい任務になるだろうね」、「彼らが現れる確率は極めて高い」と答えていました。審神者自身がどこまで状況を掴んでいたのか、また石切丸に対してどこまで情報を開示したのかは、作中に描かれていないためわかりません。ただ、石切丸の回答から察するに、徳川家康の生死という江戸時代成立を揺るがす大きな問題にかかわる点、仲間であるにっかり青江と大俱利伽羅の消息が不明な点、そして彼ら=おそらく検非違使が現れる可能性が高いという点が懸念材料としてあることがわかります。この時点で家臣成り代わりまで視野にいれていなかったにしろ、「難しい任務」であることは間違いないでしょう。ましてや仲間がいなくなるという状況は、あの本丸にとってどれほど恐ろしいものか。それでも任務を引き受けた石切丸に覚悟を感じましたね。

また検非違使出現について、石切丸はその可能性の高さに気付いていました。それはつまり、検非違使が出現する条件を石切丸は知っており、今から始めようとする任務はその条件を満たしているのがわかっているということ。原案ゲームにおいては、検非違使が出現するのは同じ合戦場を10回以上クリアすることが条件です。この設定が刀ミュにも反映しているとすると、みほとせ任務の舞台となる江戸時代黎明期(室町・戦国時代末期)に、刀ミュ本丸はすでに10回以上出陣していることになります。確かに江戸幕府の成立は歴史の大きな転換点ですし、時間遡行軍に複数回狙われてもおかしくありません。石切丸は、この本丸が今まで何度も江戸時代黎明期に出陣していたことを知っているのでしょう。

その後集った物吉、蜻蛉切、村正には、消息を絶った青江と大俱利伽羅の救出を命じます。彼らに課されたのはあくまで救出任務。この時点で、徳川家家臣への成り代わりは伝えられていません。家臣への成り代わりや江戸幕府成立を目指せ、という任務であればかなりの長期任務となります。刀ミュ本丸の審神者が仮にもそれを知っていながら刀剣男士に内容を伝えずに送り出すということは考えにくい。私は、家臣に成り代わって江戸幕府の成立を目指すという指針を、この時点で審神者は持っていなかったのではないかと思います。審神者は、あくまで青江と大俱利伽羅を救出して帰還することを目的に出陣させたのではないでしょうか。もし徳川家康が死んでいたら、即座に撤退することが任務だったのだと考えられます。先に述べた通り、あの本丸において生きて帰ることは何よりも優先されるはず。石切丸は隊長として、検非違使が出現するであろう時代において、消息不明のふたりを救出し、全員生きて帰らせることが課されました。繰り返しますが、間違いなく「難しい任務になる」でしょう。

 

これを前提とすると、審神者はかなりガチな人選をしていることがわかります。石切丸については、恐らく本丸の中でも古株でしょう。蜻蛉切が石切丸を敬いその判断に従うことからも、彼が信頼に足る実力者であることがわかります。また石切丸は御神刀でもあります。仲間の救出において神の加護を得たいという思いを込めて、審神者は石切丸に相談したのかもしれません。物吉、蜻蛉切、村正という人選もかなりガチです。天文11年の三河岡崎城付近の地理などに詳しい方からトップ3を集めたのではないでしょうか。作中でも蜻蛉切が「岡崎は我らにとって庭のようなもの」と言っています。仲間の捜索と検非違使対策として万全を期していることがわかります。

村正は顕現すぐで戦力としては不十分にも見えます。実際審神者も「来たばかりのところ申し訳ありません」と発言していました。刀ミュ本丸は戦力不足の状況にあることが、にっかり青江単騎出陣や東京心覚の中でもわかります。ましてや仲間の危機と言う緊急事態においては、とにかく猫の手でも借りたい状況と言えるでしょう。その点、村正は当時三河武士に好まれ、三河に多くの縁を持つ実戦刀です。顕現したてであっても、村正の記憶はあの時代において間違いなく役に立ちます。顕現直後であっても村正がこの任務に選出されたのはむしろ当然だったのかもしれません。

このように選ばれた4振りが仲間の緊急救出任務として出陣するのが三百年の子守唄だったのだと思います。出陣したのち、救出部隊は無事青江・大俱利伽羅と合流。その後、徳川家康が生きていたことでかなり大きな方向転換をすることなりました。赤子が徳川家康であることに気付いたのは物吉貞宗。家康の生存を知り石切丸が驚いていた様子からも、当初は徳川家康が既に亡くなっていることを想定していたのだと思います。「このいくさ、まだ負けたわけではないようだね」という台詞からは、負ける=撤退することを覚悟していたように聞こえます。さて、徳川家康の生存という幸運により、当初の青江・大俱利伽羅救出&撤退任務は終了。石切丸も「次の任務」と言っているように、任務の切り替えが行われました。そして与えられた2つ目の任務が、破壊された歴史の再生。つまり、徳川家の家臣に成り代わって徳川家康を育て、江戸幕府の誕生に貢献するというものでした。

 

6-2.村正にとっての三百年の子守唄

村正と蜻蛉切が、三百年の子守唄においてどのような行動を取ったのか、それぞれを確認していきたいと思います。

 

まずは村正から。村正は本丸にて鍛刀にて顕現します。なお村正は、刀ミュの中でも間違いなく本丸内で鍛刀によって生み出された描写がある、数少ない刀剣男士のうちのひとりです。「脱いで魅せまショウ」を歌って顕現した村正は、直後に蜻蛉切と再会します。「久しぶりデスね」「この間会った気もするが」というゲーム内にもあるやり取りを経て、本丸を案内されます。案内中に紹介された物吉に対し、ちょっかいをかけるようなやり取りをしていた中、審神者によって招集。青江と大俱利伽羅についてはこの時点では面識がなく、ふたりの失踪を聞いても感情が読み取りにくい笑みを浮かべる様子でした。みほとせ任務への出陣に対しては拒否する素振りは無く、スムーズに初陣に出発します。

1543年の岡崎城付近へ出陣してすぐには、物吉との連携が取れていないこともうかがえましたが、戦闘能力的には特に問題は見えませんでした。無事青江と大俱利伽羅と合流したのち、徳川家康の生存が判明。その時には徳川家康を守るべき価値があるのか、といった発言をしますが「冗談デスよ」とかわします。2つ目の任務に切り替わり、子育てをする流れにいくと、妖刀であることを理由に離れた場所にいることを選択しました。

物吉、石切丸、蜻蛉切、青江が子育てに勤しむなか、村正は大倶利伽羅に興味を持ち「慣れ合うつもり」で接近します。村正がどうして大倶利伽羅に興味を持ったのかは、私はふたりの成長度合いの近さや村正の妖刀伝説を知らない点にあると思います。三百年の子守唄における大倶利伽羅は、先に述べた成長段階において、未だ青年期の課題と向き合う前の状態だったと思います。刀剣男士として先輩ではありますが、顕現したばかりの村正にとっては、もっとも成長段階が近い存在が大倶利伽羅だったのだと思います。同級生というか何というか。加えて、大倶利伽羅は村正の過去や妖刀伝説を知りません。のちに蜻蛉切によって初めて妖刀伝説を聞かされています。村正にとって、自分を妖刀と言う色眼鏡を通して見ない存在は稀でしょう。大倶利伽羅の性格上、彼からは変に気を遣われることもない。妖刀としてではなくありのままの自分を見て、裏表なく接してくる。村正にとって、大俱利伽羅は心地よい関係を築ける相手として最適だったのかもしれません。

なお、大倶利伽羅とのコミカルなやり取りを行っているのがいつなのかは明確に描かれていませんが、1543年の出陣から数年のうちに、村正の性格がだいぶチャーミングになっていることがわかります。顕現当初に比べて人間らしさが身に付いてきた証拠だと思います。

 

1551年(天文20年)徳川家康10歳のとき、大倶利伽羅蜻蛉切から、村正が徳川に仇なす妖刀と言われていることを教わります。なお、村正本人は自身が妖刀であることにたいして後ろ暗い気持ちを抱き続けていました。「可惜世の雲」で自身の心情を歌っているように、自分は月を見上げて愛でることもできない、という嘆きに似た感情を持っていることがわかります。また同じころ、青江から妖刀伝説に触れつつ徳川家康の印象を尋ねられた際には、「よくわからない人デス」と返答していました。家康の行く末に興味がないと言う村正に対し、青江は「興味のないことは苦手なことに手を出すのも悪くない」こと、自身も意外であった子育てについて「これはこれで楽しい」と告げて去っていきます。この時の村正は「子育てデスか」と、子育てという点に何か思うことがあった様子でした。村正は斜に構えるような素振りをしますが、他者から聞いた話については素直に受け取る一面のある人物です。私はこの青江の子育てに対しての発言があったからこそ、のちに村正は信康に対して接近することになるのだと思っています。また、徳川家康に対する印象という面についても、葵咲本紀まで持ち越すほど、村正にとって重要なテーマになっていきます。

 

1560年(永禄3年)5月の桶狭間の戦いのときには、村正は既に本多忠勝を演じている蜻蛉切をからかっていました。この時点で任務開始から17年が経過しており、村正の明るい性格も定着してきたようです。また、家康が赤子の信康を可愛がっており、その人間味あふれる様子を見た村正は、本来の性格と違うのではないかと疑います。村正にとって徳川家康は「狸親父」。記憶の面からもわかるように、刀時代の村正は徳川家康と対面したことがないのでしょう。自身も同じような境遇である一方で、村正もまた徳川家康に対し狸親父という色眼鏡を通して見ていました。ふたりはある種の似た者同士だったのかもしれません。

 

1566年(永禄9年)に家康が名を徳川家康と改めた頃。恐らく6~7歳になる幼い信康が、鳥兜を手に石切丸と触れ合います。のちに葵咲本紀にて、村正は「通りすがりの裸のおじさん」として、幼い信康に「鳥兜を与えてみた」と発言していました。恐らくはこの頃の信康に、村正はこっそり接近していたのでしょう。なお葵咲本紀では「秘密の教育」を施していたとも漏らしていましたが、それがどんなものだったのかは「墓まで持っていきマス」と言う通り明かされませんでした。

 

1570年(元亀元年)6月28日、姉川の戦い。ここで蜻蛉切は葛藤の上で単騎駆けを無事成功させました。その様子を見ていた村正は「さすが村正のファミリー、痛快デス!」と嬉しそうな様子。また、家康が単騎駆けをした蜻蛉切(忠勝)を心配し、その無事を泣いて喜んだ姿を見て「やれやれ…ワタシのファミリーのことがそんなに大切デスか」とこぼします。蜻蛉切を心底大切に思っている姿に、家康という人物の印象が変わっていったのでしょう。狸親父の芝居ではないかという問いに対し、物吉から「それは誤解なんですよ、ほんとうに」と返されたこともあり、ここで村正は自らが徳川家の家臣・井伊直政として加わることを決意したのだと思います。1575年に井伊直政徳川家康に仕えることになるため、村正が家臣団に加入したシーンも、恐らくその頃だと推察されます。

 

またその頃、信康のその後の歴史について物吉らと話しあうシーン。信康の切腹については、村正もその歴史を既に知っている様子でした。また、様々な説はあることも村正の口から語られます。しかし、自分達の目で見てきた事実とは異なることを受け、物吉は、今回は信康の切腹を避けられるのではないかと呟きます。これを受けて村正は、もし信康の自刃が無い歴史なら、村正も妖刀ではなくなってしまうと笑いました。村正としては自分が妖刀でなくなる歴史を嬉しく思うのか、それとも違うのか。明言はされませんでしたが、私個人としては、村正からどことなく寂しさや切なさを感じました。

葵咲本紀を経てから見れば、この時点で村正は信康に対して愛情を抱いていたことがわかります。愛しいと思う子を斬った刀であると言われる自分。その歴史を回避すれば、それは歴史改変に当たってしまう。こうした状況を踏まえると村正は、自分の希望と任務との間では大変な葛藤があったことでしょう。

 

1579年(天正7年)9月15日、信康が自刃する日。村正は物吉とじゃれており、また他のメンバーを並ばせて楽しく過ごしている様子がわかります。長年ともに過ごす中で、仲間に対して友情や愛情を抱くようになったのでしょう。そんな中、石切丸はひとり信康を斬りに向かいます。青江、大俱利伽羅がその負担を分かち合おうと動いたあと、意を決して自分も行こうとする物吉を、村正は「アナタは幸運だけを運びなさい。こういうことは妖刀の役割デス」と遮ります。役割という言葉に現れるように、村正は徳川家に仇なす妖刀として行動することが自分の役割だと決意しています。自分の心の中では葛藤を抱えつつも、大切な仲間である物吉、そして他の仲間を守るために、村正は妖刀として、刀剣男士の任務を遂行することを決めたのでしょう。「誰かのために戦えるものは、それだけで強い」という言葉通り、村正は愛する仲間のために自ら刃を振るう強さを得ました。この場面から、村正の青年期課題の乗り越えと成長を見ることができます。覚悟はありますが、表情からは余裕が見えません。きっと我慢して我慢して導いた決意なのだと思います。なんて優しい子なんや…。

この直後、村正は蜻蛉切から「忘れるなよ。俺も村正だ。妖刀伝説をひとりで背負うことはない」と声を掛けられます。これに対して村正は、何も返事をしませんでした。複雑そうな表情を浮かべ、先に進む蜻蛉切に続きます。このやりとりについて、みほとせ任務中はこれ以上触れられることはありませんでした。

その後、石切丸が信康を斬ることができなかったとき、村正は誰よりも先に刃を抜きます。結果的に検非違使が介入して信康を殺害するため、村正が信康を斬ることはありませんでした。しかし誰よりも先に動いた時点では、妖刀である自分が信康を斬る役割を果たそうと思ったのでしょう。

 

村正も皆と一緒にそばで彼の最期を見守っていました。その場では、家康が戦を無くす1616年(元和2年)4月17日、家康の臨終の際にはための世の中、子どもが子守唄を聞きながら眠れる世の中を作りたかったこと、その過程で多くの犠牲が生まれそれを後悔していたこと、信康に対して申し訳なさを抱えていたことを聞いています。

 

本丸に戻ってきてからのエピローグでは、村正は蜻蛉切と家康について話していました。家康の本当の姿を見た上で、蜻蛉切は村正に「これを機に徳川家への印象を改めてみては」と提案します。しかし、村正は「それとこれとは話は別デス。印象というのはそうそう変わらないものなのデスよ。何年妖刀やってると思ってるんデスか」と返します。ここは硬い話ではなく、穏やかに話すふたりが印象的なシーンです。

村正自身、徳川家康に対して凝り固まった印象を持っていました。しかしみほとせ任務を通して自分の目で徳川家康を見たことで、彼が実際どのような人物だったのかを知りました。村正なりに家康に対する印象は改まった部分があるのは事実でしょう。このシーンで家康を「家康公」と呼んでいたことからも、村正の中での家康像に変化があったことがわかります。ただ、「印象と言うのはそうそう変わらない」という言葉もまた事実なのでしょう。その点は、妖刀としての事実はなくとも妖刀として見られる自分と重なった部分があったのかもしれません。

 

 

6-3.蜻蛉切にとっての三百年の子守唄

村正と重複する部分は除いて、蜻蛉切にとっての三百年の子守唄を見ていきます。

村正が顕現した直後に蜻蛉切が登場し、「ようやく来たか」と声を掛けます。久しぶりの再会であることを匂わせる会話ののち、蜻蛉切は村正を本丸の案内に連れていきました。物吉を紹介した際、彼にちょっかいをかけた村正に対し諫め、物吉には「気を悪くするな。決して悪い奴ではないのだ…だが…」と声をかけています。その直後、審神者によって出陣の招集がされました。この時点で、蜻蛉切は物吉と旧知であること、また村正のイメージアップに努めようとする姿勢が伺えます。招集された先で、青江と大俱利伽羅が消息不明であることと、その救出任務への出陣を命じられます。ここでも主命への忠実さや仲間を助けるために駆けつける姿が見られました。すでにこの本丸において刀剣男士として過ごす生活が板についていることがわかります。なお、青江大俱利伽羅の無事が確認できたときには、安堵した様子が窺え、蜻蛉切が仲間を大切に思う心を持っていることもわかりました。

徳川家康が生きていたことで、刀剣男士は徳川家の家臣に成り代わり歴史の軌道修正をする任務へと移行することが決まります。蜻蛉切はこの時点で、本多忠勝に成り代わることに対し「恐れ多い」と躊躇しています。同時に、村正が妖刀であることを理由にそばで協力しない姿勢を示したことに対し、「まったく、だから誤解をされるのだ」とこぼしています。顕現まもなくではありますが、村正が誤解されやすい存在であることを蜻蛉切は知っており、その誤解を解きたいと思っているのでしょう。

 

その後、蜻蛉切も赤子の徳川家康を育てることに協力します。家康を背負いながら槍の稽古をする様子を、石切丸は「いつも通り」だと評します。「赤ん坊が傍にいようといまいと、蜻蛉切さんは蜻蛉切さんだ」と。ただ、いつも通りの姿ではありながら、やや赤ん坊に振り回されている様子も印象的です。ここでは、蜻蛉切が赤子時代の徳川家康に対して、何かしらの特別な感情を抱いていないことがわかります。幼い家康に対して愛しさや可愛いと思う気持ちはあったはずですが、ここで気になるのは家康と信康の差。蜻蛉切は家康を背負うことはあっても、抱くことはありませんでした。一方で、信康は抱き上げる、手を触れ合わせるなど、その手で触れる描写がありました。後ほど葵咲本紀の話で改めて触れたいと思いますが、蜻蛉切にとっては、同じ赤子であっても家康と信康の扱い方が違うことがわかります。

なお、このシーンにおいて、初演と再演では若干台詞が異なっています。初演ではいつも通りの蜻蛉切に対し、「ある意味では一番父親っぽいのかもしれない」という台詞が入っていました。再演ではこの部分はカットされています。

 

1551年(天文20年)徳川家康10歳のとき、村正との会話の中で、いずれ本多忠勝を演じることになるのだと言われた蜻蛉切は、「自分にあの人を演じることなどできるわけが…器が違い過ぎる」といまだ躊躇しています。この頃は、もう間もなく本多忠勝徳川家康に仕え始める頃。その後の様子でもわかりますが、結局蜻蛉切は覚悟が決まらず、申し訳ないという気持ちを抱えたまま本多忠勝を演じることになります。

また、大倶利伽羅に対して村正が徳川に仇なす妖刀であると言われていることを告げます。告げた理由は「任務に関わるかもしれんから一応知っておいてほしい」とのこと。大倶利伽羅に妖刀であることを告げることに、蜻蛉切自身が特別な思いを持っていたわけではなさそうです。この時点で、蜻蛉切の心情的には、作品冒頭から特に変化した点はありません。

 

1560年(永禄3年)5月の桶狭間の戦いのときには、戦いへの臨み方に悩む家康に対し、「我らは我らのいくさをするべき」と助言。家康もそれを受け入れており、既に本多忠勝として家康からの信頼を得ていることがわかります。蜻蛉切本人としては、「任務だから耐えているものの、申し訳ない気持ちでいっぱい」と、未だ自分が本多忠勝になることは受け入れられていません。

 

1566年(永禄9年)には幼い信康と触れあう姿が見られます。信康は慣れた様子で抱き上げられ、蜻蛉切の肩に乗ります。また、退場する際には蜻蛉切の手に触れて「忠勝の手は大きいのう」と笑い合うなど、蜻蛉切と信康が非常に親しい間柄であることがわかりました。蜻蛉切の表情からも、信康に対して愛しく思う様子が見て取れます。

 

1570年(元亀元年)6月28日の姉川の戦いは、蜻蛉切にとってのターニングポイントでした。本多忠勝に成り代わることに対し、「俺があの人を名乗るなど冒涜でしかない」と発言。この時点でみほとせ任務開始から27年ほど、本多忠勝が生まれてからは22年ほど経過していますが、まだ躊躇している。それどころか、さらに拗らせてませんかね。

単騎駆けをためらう蜻蛉切を見て、物吉は本多忠勝になれるわけがない。ならなくていいから、思いをぶつけるようにと発破をかけます。これにより蜻蛉切は覚醒。本多忠勝の名を歴史に名を残すため、まさに「ただ勝つために」、忠勝のために刃を振るうことを決心しました。先にも述べましたが、これにより蜻蛉切は、本多忠勝と刀剣男士・蜻蛉切というものを切り離して考えることができるようになり、蜻蛉切としての自我を確立します。

また、単騎駆けから戻った蜻蛉切は、心配した家康に叱られ、その生還を泣いて喜ばれます。印象的なのは、キョトンとした表情。「忠勝」を心底心配して涙まで流す家康の姿を見て、好意的な感情を抱いたのだとは思いますが、ここで蜻蛉切が何を思ったのかは明言されません。

 

井伊直政として村正が徳川家臣団に加わったとき。その後の歴史について話し合う場面において、当然ながら蜻蛉切は信康自刃の歴史を知っていました。しかし近くで見ていたにも関わらず、理由はわからなかったと言っています。物吉は、今回は信康の自刃を回避できるのではないかと発言しますが、それに対し蜻蛉切は「我らは刀剣男士だ…そのような期待を抱くな」と諫めます。蜻蛉切も信康の死は避けたいと思っているに違いありません。しかし、刀剣男士としての任務遂行を優先する判断がこの時点でできています。あくまで事実ベースであり、刀剣男士として己の役割を理解していたのでしょう。

 

1579年(天正7年)9月15日、信康が自刃する日。ひとりで信康を斬りに行こうとする石切丸に仲間たちが続いていきます。村正が妖刀である自分の役割だと言い、物吉を抑えていこうとするところに、蜻蛉切は「忘れるなよ。俺も村正だ。妖刀伝説をお前ひとりで背負うことはない」と発言。黙る村正に、「行こう」と先陣を切って向かっていきました。

このシーンでは出陣から36年が経過しています。しかし、ここに至るまでに蜻蛉切にとって妖刀伝説の意識が変化する出来事は特に描かれてはいませんでした。意識の変化の理由として考えられるとすれば、村正が井伊直政として任務の遂行に努めたことが挙げられます。村正自身、作中で何度か徳川家に仇なす妖刀であることを気にする、またわざと妖刀らしく振る舞う姿を見せています。そんな村正に対して蜻蛉切は、みほとせ任務の中では初めから村正にまつわる誤解を解こうとしていました。そんな中で、井伊直政を演じるという形ではありますが、村正が本来のように徳川家に愛されたひとりとして過ごせていたのは、蜻蛉切にとっても嬉しいことだったのではないでしょうか。しかし、信康の自刃という出来事に対し、村正は妖刀としてその役割を背負おうとしました。かなりの長期間ともに過ごすことで、蜻蛉切と村正の親密度は上がっていたでしょうし、村正の悲哀というものも理解していたでしょう。一方で、いくら村正が望まなくても、妖刀伝説というものが村正から切り離せないこともわかっていたはずです。だからせめて、自分がその名をともに背負うことで村正の負担を減らそうとしたのだと思います。三百年の子守唄のラストシーンでは、青江が石切丸への寄り添い方として選択した方法が、一緒に笑うことでした。背負った重荷を分かつことはできなくても、今ともに生きている存在として隣で笑うことはできる。非常に暖かくて、かつ彼らにとっては現実的で美しい愛情だと思います。青江がそうしたように、蜻蛉切も村正と同じ名前を名乗ることで、寄り添おうとしたのではないでしょうか。

ただ、この時点の蜻蛉切は深く考えた末に村正に寄り添うという決断を出したのではないと個人的には思っています。この時点ではもっと本能的・直感的に村正のために行動しているように私には見えました。理由としては、葵咲本紀にて成長が描かれる蜻蛉切が、三百年の子守唄のこの時点で村正の心を完全に理解しているとは思えない点から。三百年の子守唄の作品の中では村正と蜻蛉切の心が近づくエピソードが少なかったので、客観的に見て蜻蛉切が思い巡らせた結果としてあの言葉を出したとはあまり思えませんでした。村正との関係構築については葵咲本紀でがっつり描くので、三百年の子守唄では比較的ふたりの関係性はあっさりめに描かれていた印象です。また葵咲本紀にて衝動的な行動を取る蜻蛉切の行動としても、その方が一貫しているのではないかと思いました。考えた末というよりも直感的に村正に寄り添う言葉を発するという、蜻蛉切の素直さがわかるシーンだとも思っています。

 

1616年(元和2年)4月17日、家康の臨終の際には仲間とともに家康を見送ります。またエピローグでは村正と親しげに話す様子が見られました。エピローグでは村正に対して「これを機に徳川家への印象を改めてみては」と提案します。村正には「それとこれとは話が別」と断られてしまいましたが。この台詞からは、村正にも徳川家へ良い印象を持ってほしいと思っていることがわかります。

蜻蛉切としては、自らの主が忠誠を誓った徳川家と、それに刃を向ける物語を持つ「村正」に、言うなれば挟まれている状態です。ただ、三百年の子守唄の蜻蛉切はどちらを選ぶわけではなく、徳川家のため、本多忠勝のために刃を向け、村正に寄り添う姿勢を見せました。相反するどちらの属性も持つ蜻蛉切ならではの、真面目で優しい身の振り方だったなあと思います。

 

6-4.三百年の子守唄における村正派の関係性と変化

 

村正と蜻蛉切それぞれのみほとせ任務における行動を見てきた上で、ふたりの関係性やその変化を見ていきたいと思います。

まずは、三百年の子守唄においてふたりが同時に舞台上に登場するシーン(お互いに関することが描写されるシーン)を簡単にまとめます。

 

【第1段階 記憶のみ】

・村正が顕現し蜻蛉切と本丸で対面する。

 

【第2段階 妖刀伝説の誤解を解きたい】

・本丸案内中に物吉と出会う。物吉に絡む村正を蜻蛉切がたしなめる。

・任務への出陣要請が下り、みほとせ任務へ出陣する。

・青江と大俱利伽羅合流。徳川家康生存につき次の任務へ移行。村正は子育てに参加せず。

・家康育成中のやりとり。本多忠勝を演じることに迷いがある蜻蛉切と、妖刀であることを匂わせる村正。

蜻蛉切、大倶利伽羅に村正の妖刀伝説を話す。

桶狭間の戦い直前、忠勝を演じる蜻蛉切を村正がからかう。

・村正、姉川の戦いの単騎駆けと心配する家康の姿を見る。

 

【第3段階 妖刀伝説をひとりで担う姿を見たくない】

・村正が井伊直政として家臣入り。

・信康自刃の歴史について話す。

・信康自刃の日、「俺も村正だ」と村正に発言する。

・家康臨終を見送る。

 

こう見ると、三百年の子守唄はやっぱりふたりのやりとりはあっさりしている印象がありますね。

 

さて、ふたりの刀剣男士(人の心を持った存在)同士としての関係性は、村正が顕現してからスタートします。繰り返しますが、刀時代にあるのは心ではなく記憶のみ。つまり顕現したての村正は、蜻蛉切というファミリーがいて刀時代に交流もあったという記憶だけが存在します。顕現してすぐ目の前に現れた蜻蛉切の個体に対して抱く感情は、記憶以上のものはないと言えます。蜻蛉切も同様で、村正については自身の源流となる刀工一派の祖であり、妖刀伝説を付されて顕現したことを記憶しているだけ。顕現したばかりの村正の個体に対しては、初めましての状態です。刀の村正と槍の蜻蛉切という同派に所属するゆかりのある2振りとして見ることはできますが、「ミュまさ」と「ミュんぼ」の物語は、ここから始まるのだと思います。

また、この「刀としての記憶」と、「人(刀剣男士)として出会ってから得た記憶・感情」は、影響は受けつつも別の側面として描かれていきます。特に蜻蛉切と村正の関係においては、刀時代の記憶と人同士として築いた情というものが、わかりやすく分けて描写されたキャラクターだと思っています。

 

さて、村正の顕現からふたりの関係はどのように発展していくのかを振り返ります。村正は顕現してまもなくは表情変化に乏しい様子が見られました。しかし仲間や人と触れ合う中で、やがて村正自身の性格が見えてきます。刀ミュの村正は、人の心を育てていく段階において、悩む蜻蛉切をはじめ、物吉、大倶利伽羅、石切丸、青江がそばにいて、近くで人の子どもが育っていく環境に長く身を置いていました。人間が生きる世界で仲間と長く過ごし、自身もひとりの人間として生きるという経験は、間違いなく村正の人格形成に多大な影響を与えていたはずです。刀ミュの村正は、ゲームなど別媒体で描かれる村正よりも、ややチャーミングで他者にちょっかいかけるのが好きなように見えるのですが、どうでしょうか。刀剣男士として顕現してからの環境によって、村正には人間くささがあるのかなあ、と考えています。またこの部分が刀剣男士の個体差部分だとも思っています。

 

さて、三百年の子守唄では、村正は自分が妖刀であることに対して皮肉のような言動をすることがありました。特に前半、徳川家康がまだ幼かった頃にそのような素振りをすることが多かったのですが、後半になると妖刀ムーブは減っていきます。井伊直政を演じるようになってから信康自刃について話すシーンまで、村正の口から妖刀という言葉は出てきませんでした。もちろん作品で描かれたシーンのみなので、途中でも何度か言っていた可能性もありますが。

ラストシーンの台詞から察するに、蜻蛉切は村正に対して「徳川家への印象を改めてみて」ほしいと思っていたのだと思います。妖刀であることを主張しない期間が長かった村正を見て、和解というと語弊があるかもしれませんが、徳川家への気持ちが少し変わったことを蜻蛉切は期待したのではないでしょうか。そりゃそうですよね、蜻蛉切は自分が愛した徳川家と、自分の根幹にある村正の板挟み状態なんだもん。仲良く、とはいかなくても村正に歩み寄ってほしいと思う気持ちはわかります。

同時に、村正が妖刀と呼ばれることがない江戸時代黎明期の時間を長く共に過ごすことで、蜻蛉切は安心感を得たのかもしれません。実際、妖刀と呼ばれた物語を背負って生まれ、感情もあまりなかった身内が、共に過ごすうちに明るくはしゃぐようになった。そんな姿を見たら、内心ほっとする部分もあるはずです。

なお、葵咲本紀でも同じような部分が見られていて、「ワタシを誰だと思っているのデスか、妖刀村正デスよ」と言う村正に、「そうだったな」と返すシーンがあります。蜻蛉切は、村正が妖刀であることを忘れて接してしまう傾向があります。忘れるというと語弊がありますが、蜻蛉切にとっての村正って、妖刀の村正ではなく、本来の村正の方に馴染みがあるのではないかと思うんです。蜻蛉切が槍であった頃に記憶しているのは、村正派の祖として徳川家にも愛されていた頃の村正。後の時代になって妖刀伝説が付されましたが、きっと蜻蛉切自身の記憶には、妖刀ではない村正が残っているのではないでしょうか。

 

蜻蛉切が特殊な刀剣男士である先に述べましたが、それはあくまで本多忠勝に関しての部分。先に述べた通り、蜻蛉切は元主が無敗であることから、刀剣男士の任務である「正しい歴史を守る」ことと自身の望みが一致しており、任務に背く思想、「歴史を変えたい」という思いを抱くことがない、という特殊性を持ったキャラクターです。しかし蜻蛉切に備わったもうひとつの要素である「村正」という部分において(葵咲本紀では蜻蛉切個人の心情においても)、村正の妖刀伝説を払拭したい、つまり「歴史を変えたい」と思ってしまっているのではないでしょうか。「村正が妖刀として扱われない状態」こそが、蜻蛉切にとっての「歴史を変えたい」と思ってしまう唯一の要素なのではないかと、ぼんやりと思っています。

 

話を元に戻します。村正が妖刀であることに縛られずに生きている姿をそばで見ていた蜻蛉切。特に終盤では村正から自虐的な妖刀ムーブが出ることも減っていきました。しかし、信康の自刃という事件によって、村正は再び自分が妖刀であることに言及します。この辺りから、蜻蛉切の心情に変化が訪れたのではないかと私は思っています。

蜻蛉切の心情変化の理由としては、この時期には村正が徳川四天王のひとりである井伊直政として生きて活躍していたことが挙げられます。村正自身、ザ・徳川方と言える井伊直政として生きることを嫌っていたようには見えません。徳川四天王を揃え並んでポーズまでつけていたので、少なくとも楽しみながら過ごしていた部分もあると思います。そんな村正を見ていた蜻蛉切からすれば、このまま過ごしたいと思っても不思議ではないでしょう。そこへ来て、まるで思い出させるかのように妖刀であることに言及されたとなれば、蜻蛉切としてもやるせない気持ちを抱いたはずです。また、このシーンでは村正自身も以前の妖刀ムーブとはやや異なる態度を取っているように見えます。冒頭のみほとせ任務初期で妖刀ムーブをする村正は、どこか挑発的な態度でした。しかし信康の自刃について語る際には、「この歴史はどこへ行ってしまうのでショウ」と切ない心情が見て取れます。その変化を見て感じているだろう蜻蛉切からすれば、村正に対して自分が何かしらできることを考えるようになったとしても不思議ではありません。

 

三百年の子守唄という作品において、石切丸とにっかり青江の関係性は作品の根幹にあるテーマに関わっています。この関係性とは、役割は分け合えないけどそばにいる選択をしたということ。青江は悲しい役割を一人で背負おうとした石切丸に対し、「分け合おうと思うんだ。悲しい役割はね」という台詞通り、その悲しい役割を共に背負おうとします。結果的に、検非違使の介入などもあり、青江(はじめ、一緒に背負おうとした仲間たち)は悲しい役割を分け合うことはできませんでした。しかし本丸に帰ってきたあとで、青江は石切丸に笑いかけ、一緒に笑うことに成功します。そして「一緒に笑ってあげることはできると思うんだ。僕でもね」と告げました。この石切丸と青江の一連の流れからは、悲しい役割やそのひとが持つ宿命(心覚の大典太光世風に言えば機能や呪いでしょうか)を共に分け合うことはできない。しかし、たとえ何もできなくてもそばにいて共に生きることはできる。そういうメッセージというか、ひとつの解を受け取りました。ちなみに、これと同じアンサーを導いていたのが、幕末天狼傳再演の加州と安定だと思っていますが、この話はまた別の機会に改めてさせてください。

 

村正の変化を見ていた蜻蛉切も、青江と同じような行動をすることになります。それが三百年の子守唄における「俺も村正だ。妖刀伝説をお前ひとりで背負う必要はない」という台詞なのではないでしょうか。ただし、ここでの蜻蛉切はまだ、妖刀伝説という悲しい役割を持つ「村正」を自分も分け合えると思っています。青江のように、他者の役割は分かち合えないということを理解していないんですよね。もちろん、石切丸・青江コンビと決定的に違う点として村正派は同じ刀派であることが挙げられます。同じ刀派、ファミリーだから分かり合えるんだと言われてしまえばそれまでですが。

私としては、役割を分かち合うことができないこともわからないまま、勢いで「俺も村正だ」と発言した蜻蛉切の幼さが見える部分だと受け取っています。葵咲本紀の項にて後述しますが、蜻蛉切は実は人の心という面においては、まだかなり若く青春段階にいる人物でした。青春時代にいる蜻蛉切が見切り発車的に行動するのは、なんだかたまらなく可愛く感じませんか。私はたまらないですね、ええ。

 

それでは村正にとって、この「俺も村正だ」という言葉はどうだったのでしょうか。これを言われたあとの村正を見てみると、少し驚いた様子が見えますが、黙って先に進む蜻蛉切に付いていくだけで、特に何か言葉を返すことはありませんでした。その後も、村正がこの蜻蛉切の言葉に対して何を感じていたのかは明かされないまま、三百年の子守唄は終わります。

しかし、葵咲本紀を見てから振り返ると、村正にとっても蜻蛉切のこの言葉は転機だったように思えます。村正はこの言葉を受け、蜻蛉切に対して自らの理解者であるという認識を持ったのではないでしょうか。自分の、「村正」の理解者だからこそ、自分の抱えていた気持ちや感情を共有したかった。だから葵咲本紀の冒頭において村正は、蜻蛉切に対して感情的な面をぶつけてきたのだと思います。

 

三百年の子守唄におけるふたりの関係についてまとめると、刀剣時代の記憶をもって対面した村正と蜻蛉切。妖刀伝説と常勝の槍という対極な物語を持ちながら、同じ村正派として生まれたふたりは、みほとせ任務の中で、ひとりの人同士の親交を深めていきました。長い時を過ごすなかで、影は持ちながらも茶目っ気のある村正と超真面目でまっすぐな蜻蛉切という人格が見えてきます。生来の「村正派」という同族意識は根底にありながら、「ミュまさ」と「ミュんぼ」の関係性は深まっていきました。そうしてお互いに情が湧いてきた状態において、信康自刃事件への対応をきっかけに、蜻蛉切は村正の悲しい役割を分け合おうとし、村正はそんな蜻蛉切の気持ちを受けて彼を理解者として受け入れました。どの本丸の刀剣男士にも共通するほどの生来の「村正派」という絆と、ミュ本丸ならではのみほとせ任務の中で紡いだ絆。この2段階を経て、村正派のふたりならではの関係を築いたのだと思います。

 

 

7.葵咲本紀

続いて、葵咲本紀を考えていきます。三百年の子守唄で描いた時期の途中の話であり、作品の大部分がたった一夜を舞台にしているのが特徴です。葵咲本紀についても、任務についてのまとめと、村正派それぞれの動きと関係についてまとめます。

 

7-1.葵咲本紀の任務について

葵咲本紀の舞台は、すでに石切丸と青江は退場済みの時代。蜻蛉切と村正は本多忠勝井伊直政として任務を継続している状況です。なお登場はしませんが大倶利伽羅は別の場所で任務継続中、作中で少し触れられたように物吉貞宗演じる鳥居元忠が亡くなる少し前のお話です。冒頭シーンを除き、厭離穢土欣求浄土の旗が掲げられているシーン以降、葵咲本紀の舞台はずっと1600年(慶長5年)7月25日の小山評定の夜。葵咲本紀は、基本的にこの一夜のうちに起きた出来事ということになります。

松平信康が死去した1579年以降は、検非違使は出現していない様子。さらに、0とは言えないかもしれませんが、村正が「久しぶりデスね」と言うように時間遡行軍の襲撃もあまりなかったことが伺えます。

 

鶴丸率いる後発部隊が審神者から命じられたのは、敵の狙いが結城秀康であり、みほとせ任務を継続している蜻蛉切と村正と合流して対処すること。審神者から明示された任務の表向きの目的は、この時代に出現した時間遡行軍の撃破だと思われます。村正と蜻蛉切は、小山評定の夜には暴れ馬だと言って家康たちを逃がして時間遡行軍と戦っており、後発部隊はここに助太刀に入りました。

 

時間遡行軍の目的から整理すると、時間遡行軍は結城秀康が天下を手中に収めること、徳川家康を殺すことという歴史改変のために行動します。これとは別に結城秀康が稲葉江と感応していたため、時間遡行軍は結城秀康と結託した形となっていました。家康を憎む結城秀康と結託すれば家康殺しが容易になりますし、時間遡行軍さんとしても効率の良い仕事を目指したのでしょう。

 

後発部隊に対する表向きの出陣目的は、結城秀康に狙われた時代の時間遡行軍の撃破と村正派への合流です。しかし審神者は事前に鶴丸と篭手切江を呼び出して密命を下しています。それでは密命とは何だったのか。恐らくはこちらが本命の任務だと思いますが、結論から言うと、稲葉江の救出と三日月機能の調査だったのではないかと思われます。

 

篭手切には、当時唯一の江だったキャラとして、稲葉江という同刀工で縁のある存在として彼を救えるように。私にしかできないことと審神者の前で言っている通り、あの時点において稲葉江を救えるのは「家族」である篭手切しかいなかった。鶴丸も「鶴の一声」の中で、鶴丸は篭手切に名指しで「頼んだ」と言っています。結城秀康が所持していた稲葉江を折ろうとする明石を止めたのも、「間違いない、先輩だ!」と発言しているように、篭手切がその時点で感応した刀が稲葉江であることを確信したからでしょう。「間違いない」という言葉が出るのも、事前に審神者から話を聞いていたからだと思われます。

 

鶴丸には、審神者は篭手切に稲葉江を託した件も含めてさらに別の調査を依頼していました。恐らくは三日月機能の調査だとは思いますが、明言はされていません。ちなみに三日月がこの時代に介入したのは信康切腹時である1579年。また検非違使の出現については、少なくとも1597年に服部半蔵の役目を終えて帰還した石切丸から先に報告を受けているはずなので、審神者は三日月が歴史介入したことも、検非違使に襲撃されたことも承知しているはずです。

検非違使が出現する可能性が高いことがわかっている以上、戦闘能力的にも鶴丸を本任務に当たらせるのは妥当でしょう。また、冒頭の本丸シーンにおいて鶴丸が明石の背後を取る描写がありました。篭手切に対して注目している明石国行をけん制する意味を持った行動ですが、ここではふたりは初対面。さらに鶴丸が長期任務から帰還したばかりであることを踏まえると、明石の自己紹介に対して「知ってるぜ」はやや違和感があります。もちろん、誰か別の相手から聞いた可能性もあるにはあるが、恐らく鶴丸審神者から明石についての情報を聞いているではないでしょうか。よって、審神者は明石の動向調査も依頼していた可能性もあります。ただし途中で鶴丸が明石から離れることも多かったので、こちらは優先順位が低いお願いだったのかもしれません。

人選については、鶴丸と篭手切は密命を下しているように部隊への選出は確定。御手杵が選ばれたのは、まずは練度が高いからだと思います。みほとせ任務以降顔を合わせていない様子の蜻蛉切と連携できる程度には古株であり、作中でも(秀康への攻撃以外は)戦闘中に未熟さが見えるシーンはありません。同時に、今回のターゲットである結城秀康が所持していた槍であるため、その記憶を活かして良い効果が得られることも期待されていたのでしょう。

明石国行については自称「新参者」です。明石の動向が不審である点を見れば、出陣先で明石がどんな行動を取るのかの調査ができるので、泳がせるためにわざと調査目的で部隊に入れている可能性もあります。また、明石も結城家に伝わる刀である点を考えれば、感応を解くための鍵になってくれるかもしれません。この中では新人である篭手切と明石の経験値が低いようですが、ベテランの鶴丸御手杵、合流先には蜻蛉切と村正がいることも加味して、戦力的にもバランスは取れていると言えます。

 

さて検非違使が登場するのは、刀剣男士が6振り揃い時間遡行軍と一通り戦った後。信康が闇落ちしてしまう状況に居合わせた直後でした。検非違使が出現するのは歴史上の異物が集まっているときなので、ここでは刀剣男士が集まっている状況を察してやってきたのかもしれませんし、生存した信康の気配を感じて出現した可能性もあります。その後村正が単騎で戦いを仕掛けて負傷。二手に分かれての行動に切り替えたのち、再度検非違使が登場するのは蜻蛉切、村正、鶴丸の3人が逃げた先でした。その後一度振り切るも、松平信康と永見貞愛を含めた全員が合流した際にもういちど検非違使は登場しています。

 

合流後に「鶴の一声」の中で鶴丸が今後についての作戦を説明します。まずは秀康を感応から救出することを前提とし、必要な素材はあいつが揃えてくれたから任せると発言。信康救出に関する任務に篭手切を指名したうえで、さらに信康と貞愛と「あともう一人くらいでバーッといってダーッとやって任務完了」とのこと。

まず、素材とは恐らく信康と貞愛というふたり。審神者の密命である稲葉江の救出には、秀康の感応を解く=正気に戻さなければなりません。秀康を正気に戻すための素材としては家族である信康と貞愛が適任でしょう。彼らがこの時代のこの場所に存在するのは三日月の仕業なので、この「あいつ」も三日月と捉えて良いと思います。感応している稲葉江と同じ江であり、事前に密命を受けている篭手切をメインとして指名して、救出に向かわせる、という作戦です。

結果的には、稲葉江と結城秀康の感応も解け、稲葉江本体も無事。皆が本丸に帰還できていることからも、時間遡行軍は無事撃破し検非違使も倒せたのだということがわかります。あおさく任務は密命含め達成。新たに三日月機能があるという情報が得られ、今後の伏線も張って本作は終わります。

 

7-2.葵咲本紀における村正と蜻蛉切の関係性と変化

葵咲本紀においては、村正と蜻蛉切が別行動をすることはないので、ふたりまとめて流れを追っていくことにします。

まず、あおさく任務中のふたりの関係性をざっとまとめます。村正と蜻蛉切の関係性は、村正の負傷を機に変わるのが特徴です。

 

【第1段階 真実寄りの村正と事実寄りの蜻蛉切

・村正は信康の一件以降、家康を嫌って苛立ちを募らせている。

蜻蛉切は村正の心情吐露(真実)に対して、正論(事実)を返す。

蜻蛉切が家康から叱責されそうになる村正を庇う。

・村正が検非違使との戦闘で負傷する。

 

【第2段階 村正の負傷・家族としての絆を結ぶ】

蜻蛉切が村正を支えながら鶴丸と共に休憩、「誰がために」のやりとりを行う。

・助けに入った信康と再会を果たし、生き延びたことを知る。

・信康が秀忠に話しかける姿を見守る村正派。

御手杵らと合流し、稲葉江を救出、検非違使と戦う。

・帰還後、手記に「葵咲本紀」と名付ける。

 

簡単ではありますが、ふたりの関係性はこの様な変遷を辿ります。

以下で詳しく見ていきましょう。

 

7-2-1.作品冒頭の村正派

 

それでは、冒頭の村正派を見ていきます。

冒頭の時点では、先に述べた通り石切丸と青江は退場済み。蜻蛉切と村正は、本多忠勝井伊直政として任務を継続しています。三百年の子守唄で描かれた、村正自刃のときのふたりの続きということになります。この時、石田三成の挙兵、伏見城の戦いが開始されたという知らせを受けていたので、具体的には1600年(慶長5年)7月18日頃であると思われます。

三百年の子守唄でのふたりは、「俺も村正だ」という通り、蜻蛉切が村正の持つ妖刀という悲しい役割を共に背負おうとしていました。これを受けて村正がどう受け取ったのかは、この冒頭の言動でわかります。

 

冒頭のシーンでは、村正は蜻蛉切に自分の気持ちや感情的な内容の話を振ります。村正が振った話と、それに対する蜻蛉切の返答をざっと挙げてみますね。

 

・「なんでショウね、このいくさは?」⇒「会津征伐、関ヶ原の戦いの前哨戦と言われているいくさだが」

・「徳川家康がこの地に来た理由は?」⇒「上杉景勝殿を征伐するためだ」

・「それは表向きの理由でショウ。真の理由は?」⇒「石田三成の挙兵するのをを誘う…か?後世ではそのようにも言われてはいるが」

・「大義名分だかなんだか知りませんが」⇒「これも戦国の世のならいであろう」

・「物吉くんが死にマスよ」⇒「それが史実。物吉はうまく逃げおおせるだろうが」

・「石切丸さんもにっかりさんも、どこで何をしているんだか。手伝ってくれればいいのに」⇒「ふたりの役目は終わった。刀剣男士が固まっていては検非違使出現を誘ってしまう」

・「信康さんを殺したあの者(検非違使)が許せない」⇒「気持ちはわかるが」

 

「気持ち」に比重が置かれた「真実」寄りの話しかしない村正と、それに対して正論、「事実」寄りの返答しかしない蜻蛉切。刀ミュの一貫したテーマのひとつである「真実と事実」をわかりやすく背負ったふたりと言えます。

 

村正がこのように自分の心情や真実に寄った話を蜻蛉切にするということは、村正がこの時点で蜻蛉切と心を共有したいと思い、蜻蛉切はそれを受け取って理解してくれる存在だと思っているのではないでしょうか。東京心覚でいうところの、聞いて欲しかったひとりごとのようなものなのかもしれません。その聞いて欲しい相手として蜻蛉切を選んでいる。三百年の子守唄の「俺も村正だ」という言葉を経て、村正は蜻蛉切のことを自らの理解者だと位置づけたのだと思います。ただし蜻蛉切はというと、この時点では正論でしか返しません。「気持ちはわかるが」と言う通り、わかる=理解はできるが、それは任務において重要ではない、というスタンス。村正の様子を見て「まったく」とため息を吐くように、寄り添おうともしていないようでした。

「俺も村正だ」と言った蜻蛉切の心情が消えたわけではないでしょう。ただ、あのときの蜻蛉切は、村正という個人に対しての情は芽生えていたものの、発作的な行動であったと考えられます。葵咲本紀前半における蜻蛉切は、人間としては青年期にいると言えます。つまりまだ、この時点の蜻蛉切は若く未熟な青春時代の人物。「俺も村正だ」と声をかけたのも、この後のシーンで家康から村正を庇うのも、考えた結果の行動ではなく発作的に取った行動であると私は考えています。

蜻蛉切は本作での発作的な行動が目立つ人物だと言えます。つまり、よく考えた末に村正に寄り添おう!と決めていたわけではありません。だから葵咲本紀冒頭では村正の心に寄り添うという選択ができないのだと思います。

 

キャラクター紹介文にもある通り、蜻蛉切は「村正の唯一の理解者」です。しかし作品冒頭では真の意味で村正を理解できてはいなかった。葵咲本紀は、蜻蛉切が真の意味で村正の唯一の理解者になる話なのだと思います。これにより、蜻蛉切の役割=紹介文にも記載されている生来の特性である「村正の唯一の理解者」としてのアイデンティティも確立できたのではないでしょうか。

 

このように、村正は自らの気持ちや真実に繋がる部分を蜻蛉切に告げていたにもかかわらず、蜻蛉切はそれを正論で返し、村正の気持ちに寄り添うことはありませんでした。葵咲本紀冒頭では村正と蜻蛉切はすれ違っている状態です。

 

 

7-2-2.村正の描かれ方と家康との関係性

 

  • 築山殿と村正

信康が亡くなったことにより、村正は家康を嫌うようになりました。なぜ村正が家康を嫌うのか。ストーリーからそのまま考えれば、信康を亡くしたにも関わらず、それに対して後悔や悲しさを見せない家康に、村正は憤りを感じたのかもしれません。感受性豊かな村正からすれば、家康には人の心が無いように見えたのでしょう。

また、構造的な側面から見ると、村正は信康の母親である築山殿の役割を担っていました。村正と築山殿にはいくつか通じる部分があります。

 

井伊直政との血縁関係

みほとせ・あおさく任務において、村正は井伊直政を演じます。井伊直政の曽祖父・井伊直平は、築山殿の外祖父に当たると言われている人物。つまり、井伊直政と築山殿には血縁関係があります。血の繋がりをテーマに組み込んでいる葵咲本紀において、井伊直政≒村正に築山殿の役割が重ねられてもおかしくないのではないでしょうか。

 

・悲しい役割が与えられている

築山殿は悪女として知られる人物でもあります。後世の書物では、武田と内通したとか、医師・減敬と密通したとか、信康を共犯にしたとか、様々な憶測で悪女に仕立て上げられました。理由については現在でもはっきりとしていませんが、結果的に築山殿は信康自刃と同じ頃に殺害されます。

本当のところがどうだったのかはわかりませんが、徳川家にとって都合の悪い部分は隠される傾向にある江戸時代。築山殿も隠したい事実を消すために、ありもしない噂を流された人物なのかもしれません。この点において、根も葉もないにも関わらず、江戸時代に妖刀伝説を付与されてしまった村正と通じる部分があるように見えます。

 

・殺害に使われた刀

一説によれば、築山殿が殺害された際に使われた刀も村正であったと言われています。ただし、これも妖刀伝説のひとつ。後世に創作された逸話であるとも考えられます。あくまで村正と築山殿を繋ぐ点として、この話も挙げておきます。

 

・信康への愛情

葵咲本紀では村正が信康に対して愛情を持っていたことがわかります。検非違使への復讐心も、「信康さんを殺したあの者が許せない」と発言している通り、信康への愛情によるものでした。また、作品後半で蜻蛉切に信康への想いを話す際には、幼かった日に触れあったエピソードを話します。村正にとって信康は子どもであるという意識が残っているのでしょう。

親であれば、肉体的性別と同じく父親で良いのではないかと思いますが、村正は母親としての役割が振られているように見えます。

刀ミュにおける父親像・母親像は、他の作品からうかがうことができます。父親については、初演三百年の子守唄にてカットされた台詞から。蜻蛉切が赤子時代の家康の世話をしているときに、赤子がいようがいまいが変わらない姿を、石切丸によって「ある意味では一番父親っぽいのかもしれない」と評されています。なお刀ミュ過去作品で登場した「父親」(子どもがいる描写がある、子どもと共に作中に登場する父親)は、徳川家康と源氏双騎における蘇我兄弟の父親のふたり。家康は赤子時代の信康にはあやしたり果たしかけたりする場面がありましたが、成長後には自らの気持ちを本人に告げることはありません。蘇我兄弟の父親も、子どもを愛している様子は伝わりますが、彼もまた子どもへと声掛けをしていませんでした。必要以上に干渉せず、自らの想いを言葉にせず、愛情は胸に持ちつつ我が子の成長を静かに見守るのが刀ミュの父親なのかもしれません。

一方で母親については、同じく源氏双騎の母親の台詞から見てみます。仇討ちを遂げる兄弟に対し、母親は「ただただ生きていて欲しかった」と言っていました。自分の子に生きていて欲しいと願うのが母親。また、怒ったり泣いたりと感情表現が豊かである点も特徴です。

葵咲本紀における村正は、子ども(信康)の死を嘆く母親に近いように見えました。のちに信康の生存を知った際、村正はその場に崩れ落ちて泣いているような声色で「よかった」と口にします。これは、「ただただ生きていて欲しかった」母親の心情なのではないでしょうか。また、父親のように感情を隠すのではなく、怒りや悲しみをむき出しにしているのも、村正が母親らしく描かれるポイント。冒頭の村正派のやりとりでも見えましたが、村正は感情的な内容や行動が多くありました。論理的であまり動じない蜻蛉切とは対照的です。こうした理由から、村正に母親という属性が与えられていると捉えました。

一説によれば、築山殿は信康を亡くし狂乱するであろうことを理由に殺害されたとも考えられています。つまり、信康を深く愛していた人物だということ。自分の子を愛する母親として、村正と築山殿には通じる部分があるように思えます。

 

 

※特に以下からは、性別や性的な表現について語りますが、あくまで個人的主観によるものです。ジェンダー論や差別的なことなどを唱えるつもりはまったくありません。単に自分が思ったことや感じたことを述べているのみですので、その点どうぞご承知おきください。なんでも許せるという方のみ、お付き合いいただければと思います。よろしくお願いします…!

 

  • 女性として描かれる村正

そもそも、葵咲本紀において村正は、女性らしい表現で描かれる人物に見えました。三百年の子守唄と比べて、まつ毛やチークを足されたメイクもそうだし、言動においても感情論が多い点から、いわゆる「女性的」であることを意図的に描かれているように見えたのです。繰り返しますが、決してジェンダー論や性別への偏見を唱えようという話ではありません。最近では特に、あまり良くない見方なのかもしれませんが、理屈ではなく感情論で話すなど、昔から根付いている「いわゆる女っぽいイメージ」で村正は表現されているのではないかと思いました。

ただ葵咲本紀においては、この性別というものも大事な要素になります。後述しますが、家康や蜻蛉切との関係性、また2部冒頭の舞、作品全体の構造から見ても、葵咲本紀の村正は「女性」役を担う必要があったのではないでしょうか。そもそも、村正のモチーフにもなっている千手観音菩薩は性別を超越している存在だと考えられています。やや女性よりに描かれることも多い千手観音を表すという点でも、村正は女性として描かれる存在としては適任だとも思います。

 

刀ミュにおいては真実と事実、表と裏、白と黒、陰と陽といった対極にあるものは、その実は表裏一体であると何度も描かれてきました。それは、男と女という性別も同じ。古くから語られる陰陽説においても、男は陽、女は陰とされています。村正派はその来歴からわかりやすく蜻蛉切は陽、村正は陰と分類できるふたりです。その点からも、陰を担う村正が女性としての役割を与えられていると私は考えました。なお、話が大きく逸れてしまうので今回は割愛しますが、陰=隠されたもの=真実を表現するものとして、東京心覚では女性が出演していました。

葵咲本紀は、全体が「陰」を表す作品だったと思います。舞台が夜であったこともその表現のひとつですし、ここで語られた内容やエピソードは、史実として確立してはいません。小山評定自体ですら、実際にあったかどうかは怪しいと言われている出来事です。その中で、作中に一度も登場していない、いわば隠されている状態の築山殿という女性を、輝かしいとは言いづらい妖刀の逸話を持つ村正が背負うのは、適任であるとすら思えます。

 

さて、築山殿は家康の正室であるため、築山殿の性質を持つ村正もまた、家康の妻としての成分を含んでいると思われます。また、村正が演じたのが井伊直政であることも重要な点。直政は家康の小姓を務めていた経験があることから、ふたりの間には肉体関係があったとしてもおかしくありません。史実はともあれ、刀ミュにおいて、家康と村正(井伊直政)の間にそういった関係があったかどうかはわかりませんが、本来の家康と直政の関係性が刀ミュのふたりにも影響していたと考えられるということです。

 

  • 家康と村正の関係性

家康との関係を見ていくと、村正は家康の「女」として扱われているように見えます。理由としては前項の通り、自分の妻である築山殿と小姓である井伊直政という、家康にとって肉体関係があった(可能性がある)ふたりの性質を、村正が持っているからです。

 

これを踏まえて家康と村正の動きを見ていくと、作品前半において特に気になるのが、家康が村正に対して非常に厳しい態度を取る点。葵咲本紀は1600年(慶長5年)7月25日であり、村正と蜻蛉切はこの日までそれぞれ井伊直政本多忠勝として、史実に忠実に過ごしています。よって、この時点で村正(井伊直政)および蜻蛉切本多忠勝)は、家康から厚い信頼を得ているのは間違いありません。だからこそ小山に連れてきて、小山評定が行われたのでしょう。

小山評定のシーンを見てみると、家康は村正(直政)に対してのみ高圧的な態度を取ります。家康は、世継ぎは自分で決めるべきだと少し言い返しただけの村正(直政)に対して、殴りかかるような仕草すら見せました。

家康がすべての人間に対してこのような態度を取るのかと言うと、そうではありません。その直後に会話に入っていた蜻蛉切(忠勝)の意見はすんなり聞き入れているからです。この場面において、村正(直政)と蜻蛉切(忠勝)は、どちらも、世継ぎは自分で決めろという同じ趣旨の話をしています。それなのに、村正(直政)に対しては高圧的であり、蜻蛉切(忠勝)に対しては素直に聞き入れている。確かに本多忠勝の方が家臣としては古株ではありますが、一方にのみ高圧的に接するのは少し不自然です。

葵咲本紀では目線の動き方と立ち位置がとても繊細に表現されていました。基本的な目線の動きとして、相手にきちんと向き合った時には目を合わせる、逆に相手をわかろうとしない時には目を合わせることがありません。立ち位置については、同等や寄り添う相手に対しては同じ高さの位置に立ち、わかり合えない場合は高さや距離に差が生じます。この目線と立ち位置においても家康がふたりの扱いを区別していたことがわかります。

小山評定のシーンでは、腰掛に座る家康の左右に控える形で蜻蛉切と村正が跪いています。目線としては家康が一番高く、ふたりはその下という位置関係。村正の意見に対して激昂する際、家康は立ち上がり村正を見下ろします。村正はその位置からは動かず、目線を家康から逸らしたまま彼を見ることはありませんでした。ここから、家康は村正(直政)を下に見ており、一方で村正も家康をわかろうとしていない心情を持っていたことがわかります。

一方で蜻蛉切は、話し始めると立ち上がり家康と同じ目線に立ちます。家康はそれに対して正面から向き合い、笑顔すら見せて話を聞き入れました。(結果的にふたりの意見とは異なる秀康を選ぶのですがね。)三百年の子守唄においても、蜻蛉切(忠勝)に対しては同じ目線に立って膝を突き合わせるような仕草をしていましたが、この点からも家康は蜻蛉切を自らと同等の男として扱っていることがわかります。同じシーンにおいて、目線や立ち位置も違うのは、蜻蛉切と村正を明確に区別していたことの表れだと思います。

 

このシーンにおいて家康は、蜻蛉切を男として同等に扱い、村正を女として軽んじていたように私には映りました。現代ではかなりのNG行動ですが、戦国時代の武士としては、いわゆる「女が口を出すな」ムーブをかましても不思議ではありません。村正(直政)に対して今後の策を練らせていたため、彼自身の才能は正当に評価されていたのでしょう。しかし、構造的観点から作品を見ると、村正と家康の関係は主君と家臣の他に、男と女(夫と妻)として見ることもできると思っています。

 

村正から見た家康はどうだったのかと言うと、本人曰く「はっきりと、嫌いデス」とのこと。三百年の子守唄において、にっかり青江から家康についてどう思うかと問われた際には、好きとか嫌いとかではなく、よくわからない人と答えています。それが、葵咲本紀ではその答えとして明確に「嫌い」だと宣言しました。今に始まった話ではないと言っていたため、妖刀伝説に関連する気まずさも影響していたとは思われますが、村正が家康を嫌う理由は、やはり信康に関するところが大きかったのではないでしょうか。

築山殿の役割を持った村正にとっては、信康は我が子。母親としての信康への愛を持つ村正は、信康の死を悼む様子の無い家康への怒りを募らせていただと思います。我が子を愛してくれなかった(ように見える)夫への恨み。特に村正は、家康が信康の死に関する話題に触れる度に怒りをあらわにします。それは母としての怒りだったのではないでしょうか。

 

  • 村正の心の成長

基本的に、「かざぐるま」で歌われる「幼子は瞬く間に初冠」のように、刀ミュに出てくる刀剣男士の成長速度は他者が思うよりもとても速いのが特徴です。村正もそのひとり。先に顕現していた蜻蛉切よりも、人間らしさとも言える情緒的側面は村正の方が速く育っていました。その理由は、村正が顕現してすぐにみほとせ任務に就き、人間・井伊直政として生活していたことが大きいでしょう。葵咲本紀の時点で、村正演じる直政の年齢は39歳。村正が井伊直政として家康に仕えてからですら25年が経過しています。刀剣男士としてよりも、人間として生活する時間の方が長かった村正は、人としての心の育つスピードが速かったのだと思います。

それを象徴するかのように、村正には人間くさい行動が目立ちます。「物吉くんが死にマスよ」や「墓場まで持って行きマス」なんて、自分や仲間を人間だと思い込んでいなければ出ない発言でしょう。刀と人間の違いは、「心」の有無です。感情、思い、愛といった、心があるからこそ生じるものは、刀時代には無かったはず。ただ記憶しているだけの人間界での出来事でも、心を持つ刀剣男士として面すれば、嬉しかったり苦しかったりと、心が揺れる経験をすることになります。

特に村正は、刀剣男士としてのアイデンティティが確立するよりも先に、人間としての心が育ってしまったキャラクターなのではないでしょうか。だからこそ、葵咲本紀では感情面に寄った発言が多くなったのだと思います。

 

7-2-3.蜻蛉切の変化

葵咲本紀冒頭時点で、蜻蛉切は村正の心に寄り添うことはしていませんでした。村正を大切に思っていること、心配していることは間違いないのでしょうが、いくら村正が「真実」や気持ちに寄った話をしても、すべて正論で返すのみ。村正が、なぜ、どう思っているのか、という部分に関しては踏み込んでいきません。

そんな蜻蛉切の変化が見えるのが、小山評定の場面。家康が村正(直政)に対して声を荒げ、今にも殴りかかりそうになったときに、蜻蛉切は割って入ります。徳川家の跡継ぎ問題に関しての意見と、若干の煽りを交えて家康の気を引きました。このあとに蜻蛉切と村正が言葉を交わしたり、この件について言及したりするシーンはありません。ただ、このシーンの蜻蛉切は露骨に村正を庇う行動をしているように感じられます。

長く一緒にいますが、蜻蛉切が村正本人に対して何かしらを働きかける、アクションを起こすのはこのシーンが2度目。ちなみに1度目は三百年の子守唄での「俺も村正だ」発言です。前述の通り、蜻蛉切は初めの「俺も村正だ」は衝動的に取られた行動です。そして今回の2度目の庇う行動も、恐らく衝動的なもの。蜻蛉切はこの時点で村正が自分にとってどんな存在かわからない、ふたりの関係性に名前が付けられないでいる状態です。

 

三度目の正直とはよく言ったもので、物事は3回行われると完成するという認識があります。3回の法則と言いますか。蜻蛉切のこの衝動的行動も、3回目で完成を迎えます。それが、検非違使との戦いにより負傷した村正に駆け寄る行動です。あの時の蜻蛉切は、倒れた村正に駆け寄る際に槍本体を投げ捨てていました。まだ敵との戦いは続いているにも関わらず、倒れた村正に触れながら名前を呼ぶばかり。敵への対応は他の刀剣男士が行っていました。蜻蛉切が変化したのは、この3回目の衝動的行動が最終的なきっかけになります。

 

そもそも、村正と蜻蛉切は冒頭からこの時点まですれ違っていました。関係としては良好なようでしたが、冒頭の会話のように、蜻蛉切は村正という個人の気持ちや心情、行動の理由に対して踏み込んではいかなかった。村正としても、蜻蛉切に対してわかって欲しい気持ちがあるから本心を話していたのでしょう。しかし、蜻蛉切個人に対する思いにはあまり目を向けていない状態です。お互いにお互いを認識して、それなりに大切に思ってはいるけれど、目の前にいる千子村正蜻蛉切という個人に対しては、未だ深く入り込めていない。名前が付けられない状態だったのだと思います。

 

7-2-4.目線と立ち位置の変化

目線や立ち位置についても、村正派は冒頭からこの時点まで互いにしっかりと向き合うことはありませんでした。冒頭での会話のシーンでは、村正は比較的蜻蛉切に目線を向けているのに対し、回答する蜻蛉切の目線は客席側を向いていることが多い。

この点に変化が起きるのは、やはり村正が検非違使と戦って負傷してしまうシーン。槍本体を投げ捨て慌てて駆け寄った蜻蛉切は、倒れた村正の体を抱きかかえ頬に触れるなど、意識は村正に集中していました。なお、この本体の槍を放って、村正の体に触れるという行為は、ここで蜻蛉切の意識が、槍(刀剣)から心を持つ人間へのシフトを意味しています。刀剣としての自分ではなく、刀剣男士(人間)としての自分を、衝動的に優先したように私には見えました。

目線と立ち位置の話に戻します。駆け寄り村正を抱きかかえた蜻蛉切は、敵がいるにもかかわらず、完全に無防備状態。この際、蜻蛉切は村正の名を呼びながら、その顔をじっと見つめていました。しかし、村正は気を失って目を閉じているため、蜻蛉切の瞳を見つめ返すことはありません。これは、蜻蛉切はやっと村正個人を見ようとしたけれど、村正側はまだ蜻蛉切の心に目を向けられていないことを表しています。

目線と立ち位置に変化が訪れるのは、村正が目を覚ましたあと。蜻蛉切が「感情に支配されるな」と注意する際に、お互いに目線を合わせています。しかしこのとき村正は腰かけており、蜻蛉切は中腰。目線の高さ的にはまだ合っていません。その後「意外だった」から始まる、村正が信康のことをどう思っているかの質問の際には、蜻蛉切は村正が腰かけていた段と同じ段に座ります。つまり、やっと村正と同じ目線、立ち位置になったとことがうかがえます。

一方で村正はというと、その質問に答えながら立ち上がり、蜻蛉切から離れて行ってしまいます。蜻蛉切は村正が立てば自分も立ち上がるので、この時点では蜻蛉切の方が村正自身に寄り添おうとしていますが、村正は蜻蛉切には目線を向けず、自分の心を明かすことに恐れを感じているように見えます。

そして信康との唯一とも言えるような思い出を話した村正はよろけるように体制を崩します。そんな村正を蜻蛉切は抱きかかえますが、蜻蛉切の腕の中で「それだけデスよ」と呟いた村正は俯いたまま。「そうか」と返す蜻蛉切の目線は村正に向いていますが、ここでもふたりの目が合うことはありませんでした。

その後蜻蛉切が話題に出したのは、「斬れないものはあるか」という問い。ここでは同じ立ち位置で客席側を向いていますが、今度は蜻蛉切が位置を変え、元いた階段に腰かけます。すると村正はその問いに答えながら、蜻蛉切と同じ段に腰かけました。そして、秀康を攻撃できなかったことについて、蜻蛉切に話を振ります。「斬れないものはあるか」という問いは、蜻蛉切が見せた弱さ。村正は、自分の弱い部分を吐露しようとしている蜻蛉切に気付き、それに寄り添うために同じ段に座ったのだと思います。そして、「もうそんな思いはしなくて良いデス」と語り、「誰がために」パートに入ります。

同じ段に座っていながらも、ふたりの目線は合わないまま。初めて同じ高さで目線が合うのは、「誰がために」の「ずっと誰がために 徳川のために戦ってきたのですから そんな覚悟」のところ。ずっと反対側を向いていた村正が蜻蛉切の顔をまっすぐ見て、ふたりは同じ位置で目線を合わせることに成功します。ここではほんの1秒程度の目線の交差であり、すぐに逸らしてしまうのですが、その直後のやりとりでも、ひとりが立つとすぐにもうひとりが立ち、頭の位置が変わることはありません。

その後、蜻蛉切が槍を突き立て吹っ切れた様子を見せるシーンからは村正が階段で腰かけ、蜻蛉切はその横で立った状態。ただし、目線はお互いに向けられています。違う立ち位置から、まっすぐにお互いを見つめる姿は、それぞれ異なる役割を持っていながらお互いを思い合っているふたりを象徴する構図に見えました。なお、「誰がために」については後述しますので、ここでは目線と立ち位置の話のみを述べます。

信康との合流後は、今までの経緯を話す際に、村正・蜻蛉切・信康の3人で三角形を作るように階段に座ります。信康が真ん中少し高めの位置におり、その両脇に蜻蛉切と村正が同じ段にいる状態。先にも3という数字は完成を意味していると述べましたが、ここでも三角形という「3」が登場します。立ち位置で三角形を築くことで、3人は家族として完成したのだと思います。

 

7-2-5.村正派と信康の関係性

「誰がために」と一連のやりとりをきっかけに、村正派の関係はほぼ固定されます。お互いに相手を大切に思いながらも、その関係に名前が付いていなかった。それがファミリー/家族として名付けられたことで、定義づけられた関係性になりました。家族だから、それぞれがそれぞれの役割(アイデンティティ)を果たし、しかしその根底にある思いをお互いに向ける。血縁関係がない村正派だからこそ、その関係に名前を付けておかないといけなかったのかもしれません。自分たちで選択し名付けられる唯一の家族関係が夫婦なので、村正派は夫婦関係に近い存在だと思っています。

こうして関係性が確立しているので、「誰がために」以降は村正と蜻蛉切がお互いへの印象や行動を特に変えることはありません。そして「誰がために」で夫婦として成立した直後、信康の生存が判明します。夫婦としての絆が成立したタイミングで現れるという点からも、信康が村正派にとって子どもとして位置づけられる存在なのだということがわかります。

これ以降、ふたりは信康の親らしい行動を取ることが多くなります。夫婦としての関係を築き、その後に疑似的な子どもとして信康が二人の間に入る。こうすることで、疑似的ではありますが両親と子どもという、オーソドックスな家族像として成立することになります。なお、村正派が夫婦として成立するという点については後述します。

 

信康の疑似的な両親として描かれる村正派は、信康の前でそれぞれ父親・母親らしい行動を見せます。

百姓として過ごす中で仲間を守るために戦い強くなった信康は、自らの手を蜻蛉切に見せます。このシーンは、三百年の子守唄で幼かった信康が蜻蛉切の手を取って「忠勝の手は大きいのう」と驚いていたシーンのアンサーでしょう。蜻蛉切は「これはまた、随分と逞しくなられましたな」と、信康の社会的な成長を認め喜んでいました。

「忠勝、手を」と名指しにしていることから、信康にとって、自分のいわゆる男としての成長を見せる相手は、父親役を担う蜻蛉切だったということ。幼い信康にとって、忠勝のような大きくて逞しい手は、立派な大人の男の象徴なのだと思います。畑仕事や民たちを守るために励んできた現在の信康の手は、大きくてゴツゴツしているはず。そんな成長した自分の姿を、信康は誰よりも蜻蛉切(忠勝)に見せたかったのかもしれません。男として立派に成長した姿(手)を見せる行為は、蜻蛉切と信康の関係が(擬似的な)父と子であることを意味しているのだと思います。

三百年の子守唄の初演においては、赤子時代の家康を背負うが普段通りである蜻蛉切の姿を、石切丸は「ある意味では一番父親っぽいのかもしれない」と評しました。この台詞は、再演時にはカットされています。再演時にカットされたのは、「父親らしい」と評された時点の(初演の)蜻蛉切は、今思えば父親として完成していなかったからかもしれません。蜻蛉切が父親らしく振る舞うようになるのは、生存していた信康との再会のあと。みほとせ時点の蜻蛉切は、がむしゃらで村正との関係が自分でもよくわからない、若者時代の蜻蛉切でした。「父親らしい」蜻蛉切は、葵咲本紀でこそ見られるのかもしれません。

 

一方で村正は、前述の通り母親らしい行動をします。信康の生存を知って安心しその場に崩れる姿は、まさに「生きていてくれさえすればよい」と願う刀ミュの母親像そのもの。また、生存を知らせずにいた信康に対して拗ねて見せたり、信康にほだされたりと、感情を隠さない姿も目立ちます。

信康が秀忠を鼓舞する行動を見ていた村正派の表情は終始穏やかで嬉しそうでした。信康が去った後にも、「立派な子に育ちましたね」「ああ」という両親のようなやりとりからも、村正派にとって信康が疑似的であれ子どものような存在であることがわかります。

信康と共に過ごす蜻蛉切と村正は穏やかな雰囲気であり、柔和な表情をしていることが多い点も特徴的です。特に蜻蛉切においては、「誰がために」以降、やっと嬉しそうな笑顔が見られたのも印象的でした。コミカルな行動の根底に安定感や深い愛情を感じます。

 

そもそも、葵咲本紀という作品自体がいわば曖昧な話です。そういうのも、葵咲本紀という作品の性質が、正史として紡がれる歴史の裏面を舞台にした話だから。小山評定もそうですし、信康の生存、永見貞愛の活躍、秀康の一連の行動、家康と秀忠とのやりとりなど、葵咲本紀で描かれたエピソードは、どれも史実上の裏付けがありません。葵咲本紀は刀ミュ本丸においては確実に「存在した」任務なのですが、本当に起きたことなのかわからない、夢のような話になっています。いわゆる諸説のひとつが葵咲本紀なのだと思います。

葵咲本紀を構造的に見ると、村正派は信康の親としての役割が与えられていました。一方で、葵咲本紀自体が裏面・諸説のひとつであるため、信康の親という役割についても、裏の意味が与えられているのではないでしょうか。具体的に言うと、村正派は信康の本当の親にはなれていないということ。もちろん、信康の本当の親は家康なので当然なのですが。それとは別に作品を見たときの役割という意味において、信康には「表」の親がいます。それが、石切丸でした。

石切丸は服部半蔵を演じていたこともあり、信康の育成を主導していました。詳細については割愛しますが、特に親としての要素としては、信康の着物の色が緑であること、そして幼い信康に「祓いたまえ、清めたまえ」を伝授したことが挙げられます。さらに、信康が「神の子」であることも重要だと思っています。信康が、「家康という神の子ども」であるという部分は、石切丸という「御神刀の子ども」であるというリンクのさせ方で表現されていました。

葵咲本紀で村正は、石切丸のようにはなれないと語ります。元々妖刀である自分が、彼のように気高く美しい心は持ち合わせていないと。石切丸は御神刀であるため、確かに清らかなイメージの刀剣男士です。村正からすれば、いわゆる「いわくつき」な自分とは正反対の存在に見えているのかもしれません。

信康との関わりについても、石切丸と村正は対極にありました。家康から託される形で信康を育て、立派な若者となった際には、育ててくれたことを家康から感謝までされています。一方で村正はというと、本人曰く幼い頃の信康に接近しドクゼリやトリカブトを与え、からかって遊んでいたのみ。村正が信康を(親として)愛していたことは、本人以外誰も知りませんでした。日の当たる場所で信康を育てた石切丸と、日の当たらない場所でこっそり愛していた村正は、信康の親として対照的に描かれています。

葵咲本紀で親子のように描かれている村正派ですが、葵咲本紀という作品の性質および表立った場面で信康を育ててはいない(石切丸という本当の親がいる)状況から、村正派のふたりにとっての信康は、子どもではあるが実の子ではないというポジションなのではないでしょうか。

 

血縁関係について触れますが、葵咲本紀で描かれるのテーマのひとつに「血」があります。単純な血液という意味の他にも、生きていることを実感できるもの、血が通っている=心を持っているもの、血縁関係など作中で表現される血にはいくつも意味が含まれていました。ここでは、血縁関係という面から、村正と信康の関係を考えます。詳細については割愛しますが、葵咲本紀においては、血を浴びせる(出血した状態で触れる)ことが血縁関係を表している部分があります。検非違使との戦いにおいて、作中最も深いであろう傷を負った村正。気絶もしていたし、その後もしばらく傷が癒えていないのでかなりの重傷だったはずです。恐らく出血もしているはずですが、演出上赤い血は見えませんでした。これは村正にとって本作には血縁関係者がいないということを意味しているのだと考えます。作中で貞愛が言った通り、「血の繋がりばかりが家族じゃねえ」。血縁関係はなくとも、村正と蜻蛉切、そして信康は疑似的ではありますが家族として成立していたのだと思います。血の繋がりはないけれど、自分で選んだ家族がいるからこそ、村正は作中で出血する必要がなかったのかもしれません。いずれにしても、彼らが幸せそうであったのは本当に良かったです。

 

7-3.夫婦として描かれる村正派

※先述した注意の通り、この項では特に人を選ぶお話をさせていただきます。ご注意ください。

葵咲本紀における村正派、村正と蜻蛉切の関係は、恋愛→夫婦→家族といういわば(古典的かつ)オーソドックスな人間の営みの流れ通りに描かれていると私は考えています。蜻蛉切の目線から見ると、青春時代(すれ違い)→和合→子供の出現と繋がっているので、わかりやすいかもしれません。

以下、夫婦として描かれる村正派について考えていきます。

 

7-3-1.身体的接触による互いへの意識の変化

作品冒頭では、感情的な話をする村正に対して、事実的な観点から返さない蜻蛉切が描かれており、そのまま両者はお互いの心を理解することなく話が進みます。刀剣男士としてはうまくやれているけれど、目の前にいる個人としての村正・蜻蛉切が、自分にとって何なのか、また自分の抱える感情に名前が付いていない状態でした。

ふたりの転機となるのが、村正が検非違使と戦って負傷するシーン。そこで蜻蛉切が本体の槍を放って駆け寄ったのは、蜻蛉切が槍(刀剣男士としての自分)よりも村正(人間としての自分)を思わず優先したということだと私は捉えました。考えた末の行動ではなく衝動的な行動ではありますが、これにより村正と蜻蛉切は初めて身体的に接触します。このあと休める場所まで逃げる際にも、怪我している村正を蜻蛉切が支えるという形で、ずっと肉体的に接触した状態が続きます。刀ではなく、人間同士してその温かさを、蜻蛉切はやっと実感したのではないでしょうか。

村正が顕現した三百年の子守唄以降、村正派は距離こそ近いけれど、ここまで身体的接触ってしてこなかったように見えます。ちなみに、少なくとも蜻蛉切は人間の温かさはわかっています。赤子のときの家康を抱いていたり、信康さんと手を繋いだり。しかしあんなに側にいたのに、村正派はお互いの温かさも知らなかった。わかってはいるけれど、温かくて心のある存在としての実感がなかった。「この人は誰ですか?」と聞かれたら、互いの刀・槍としての来歴を答えちゃうような感覚だったのかもしれません。それって、お互いをひとり人間として見ることができていなかったってことじゃないかと思います。それが、ここにきて肌に触れることで、相手は血が通っていて心を持つ人間だということを実感してしまったのでしょう。村正の肌に触れて、村正が生身の人間であることを実感した蜻蛉切。そのあとから、蜻蛉切の感覚は「事実」ベースから「真実」ベースへと移行します。具体的には、村正の心に寄り添おうとする行動をするようになります。

検非違使と戦い気を失っていた村正が目覚めた際、蜻蛉切は石切丸の前例を出して、感情に支配されるなと忠告します。それに対して村正は、自分が元から汚れている存在だから、あちら側に引きずり込まれることはないと返しました。妖刀であることを持ち出し、石切丸のようにはなれないと語る村正は、妖刀であることを自分の役割(呪い)と捉えているようです。三百年の子守唄の中で蜻蛉切は「俺も村正だ。妖刀伝説をお前ひとりで背負うことはない」と発言しています。しかし、蜻蛉切という槍に妖刀伝説が付されていない以上、現実的に蜻蛉切が妖刀伝説を背負うことはできません。この時の蜻蛉切には、それが痛いほどよくわかったのでしょう。

それでも村正と共に生きるために、「真実」を辿るという方法で村正の心に寄り添おうとします。理屈ではなくて、どこにも書かれていない胸の内や隠された理由を知ることで、そのものの本質が見えてくる。東京心覚で水心子正秀が行ったのと同じ手法です。それが「意外だった」から始まる、村正の心の内を聞く行動でした。今までずっと正論ばかり=「事実」で返していた蜻蛉切が、心や理由=「真実」に寄り添うようにシフトしたということ。このスイッチは、村正に触れて熱を感じたという部分だったのだと思います。先に述べた目線を合わせているところからも、このタイミング以降で蜻蛉切が村正を理解しようと、寄り添おうとしていることがわかります。なお、三百年の子守唄の初演では、村正が蜻蛉切をちょんとつつく仕草をしてたんだけど、再演時にはカットされていました。

 

  • 村正の変化

村正が蜻蛉切と身体的接触をしたのは、検非違使と戦って負傷したとき。しかしこの時村正は気を失っているため、蜻蛉切に触れた実感はありません。村正がその感覚を知るのは、目覚めたあと信康との思い出を語るときです。よろけた際に抱きとめてくれたときに、村正は初めて蜻蛉切の体に触れました。先述の通り、村正は人間的な感覚を持ってここまできているので、恐らくこの時点よりも早い段階から、蜻蛉切を人間として認識してはいます。しかし、人肌としての温かさを実感したのはこのときが初めてだったのでしょう。

村正は情緒的にかなり発達している状態であり、人の心というものが備わっている、感覚も人間に近い人物です。蜻蛉切に対しての思いももちろんあったはずですが、身体的に接触するまで、その実感は薄かったのではないでしょうか。だから、先刻の蜻蛉切に対して、秀康を「死なない程度にやっつける」ことを命じられたのかもしれません。しかし蜻蛉切の温かさを知った今、蜻蛉切を「心を持つひとりの人間」として意識し、心まで守りたくなってしまった。だからこそ、その後に「すみませんね、気づいてあげられなくて」という言葉が出てきたのだと思います。村正にとっても身体的接触は転換点になりました。

 

  • 肌に触れることで生まれるものとは

信康との思い出を語る中で、よろけた村正を抱きとめるという形で、村正と蜻蛉切接触します。特に印象深いのは、話終えた際の沈黙の時間。目線はお互いに前を向いたまま、虫の鳴き声が聞こえます。ここ、戯曲本にもしっかりと虫の声が聞こえることが書かれているんですよね。7月25日という夏の夜に鳴く、夏虫です。夏虫と言えば、歌合で青江のシーンで用いられた、「夏虫の身をいたづらになすこともひとつ思ひによりてなりけり」の歌にもありましたね。恋を連想させる歌です。また、虫の鳴き声は求愛行動のひとつでもありますので、恋愛的な要素もここに付与されているのではないかと思います。

またこのシーンの特に蜻蛉切の目線を見ると、前方を見たあとそのまま上に目線が移動しています。この場所が思川だとすれば、夏の夜に川辺で見えるは蛍なのではないかと思われます。虫の鳴き声の他に、夜に光る蛍が見えている非常に幻想的でロマンチックなシーンなのではないでしょうか。

ちなみに、思川は小山評定が行われた場所の近くを流れている川です。当時家康が利用した(乙女河岸)という事実がある場所でもあります。家康らのいる本陣付近で敵に襲撃されたことを考えると、逃げる先としては十分あり得ると思います。そもそも葵咲本紀は正史で語られない部分をメインに描く作品。その点においても、支流である思川は舞台としてぴったりだと思うわけです。名前もロマンチックですしね。

また、虫の声が聞こえる中で、村正は目を閉じて恍惚としたような、何かを諦めたような表情をします。村正にとってはこのシーンがはじめて蜻蛉切に触れたと実感した場面。蜻蛉切というひとりの人間の生を感じたことで、蜻蛉切の熱へ甘えてしまいたい=蜻蛉切のそばにいたいという気持ちと、蜻蛉切を守るために戦う=蜻蛉切と離れて汚れ役を請け負うという気持ち、そしてこの2つの気持ちが両立しないことへの諦めの気持ちが、あのシーンの村正にはあったのではないかと思います。その後、そばにいたい気持ちを払拭するように、その後すぐに突き飛ばすような仕草で自ら蜻蛉切から離れて行きました。

相手に触れることで、村正に寄り添おうと行動した蜻蛉切と、蜻蛉切と一緒にいたい気持ちを自覚しつつ役割として自ら離れて行こうとする村正。「誰がために」へ続くこの構図は、身体的接触がきっかけだったのだと思います。

なお、三百年の子守唄の初演では、村正が蜻蛉切をちょんとつつく仕草をしていたのですが、再演時にはカットされていました。再演は葵咲本紀に向けて整えられているので、再演での身体的接触の無さは意図的にも感じられるほどです。何度も擦りますが、肌に触れて相手の熱を感じたことで、目の前にいる相手が刀剣ではなく生身のひとりの人間として、心を持った存在としてはっきり意識してしまったのでしょう。

 

 

 

7-3-2.「恋」と「夫婦」の描かれ方

  • 恋の話

葵咲本紀において、村正と蜻蛉切の関係性が恋に近いのではないかと私は感じました。

そもそも昔から、恋は歌におけるメインテーマのひとつ。歌合においても「花を愛で 風を撫で 恋煩う」と歌っているように、彼らは人と同じく「恋煩う」ことがあるということ。だから2部で恋の歌(ラブソング)が歌われるのも、不自然ではありません。むしろ彼らが歌をうたう上で、恋だけを避けるのこそ、やや不自然ではないかと思うのです。もちろん、表現上の擬似的・役割としての夫婦や恋という言葉なので、ふたりは結婚してる!って騒ぐわけではないです。ただ、葵咲本紀というストーリーの中で、見事なまでに美しく描かれる関係性を表す言葉として、刀ミュの真髄である「歌」にとって欠かせない要素である恋を、擬似的にではあれ葵咲本紀で描いたのではないか。私はそう思います。

とはいえキャラ間での恋愛とみなす解釈となると、どうしても所謂「腐向け」と捉えられてしまうと思うのだけれど、ここで描かれる村正派の関係を腐向けとひとくくりにするにはあまりに勿体無い。いっそ感じたままに捉えたほうが、作品自体をより深く味わえるのではないかと思い、恐々ではありますが記した次第です。

 

夫婦以外に「恋」と言う表現をしたのは、まずは夫婦として成立する前段階において恋愛というものが必要になってくるからです。もちろん結婚=恋愛だとは思いません。ただし、村正派の関係変化を見たときに、相手を理解し愛情を深め合う過程を経て夫婦、そして親という役割へとシフトしていくので、恋愛結婚した夫婦という関係性に最も近いと感じています。

刀ミュにおいて恋の要素が明確に描かれたのは、東京心覚の平将門による「惚れた女がいたからよ」という台詞においてのみです。詳細は割愛しますが、刀ミュで描かれた(心覚の)世界の出来事の源流は、平将門がひとりの女性に惚れたことだということ。つまり、世界の始まりはたったひとつの恋であると言えます。他の作品では恋愛要素は一切出てきませんが、そもそも刀ミュの根幹、すべてのはじまりには「恋」があったというのは、キーポイントになっているような気がします。この点において、葵咲本紀というひとつの分岐点になる作品の中で、さらにその原因点に恋を据えるのはおかしいことではないと私は考えています。

冒頭でお互いのことは大切に思いながらも、お互いの心を理解し合えずにすれ違い続けていた村正派。村正の負傷を経て、さらにお互いの肌に触れたことでお互いの心に踏み込んでいきます。そして、思いが通じたあとはお互いのために戦うことを選択する。こういった流れは、オーソドックスな恋愛物語として美しく完成されているように私には感じられました。

恋という字をデジタル辞書で引いたぞ。

こい〔こひ〕【恋】

読み方:こい

1 特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「—に落ちる」「—に破れる」

2 土地・植物・季節などに思いを寄せること。

「明日香川川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき—にあらなくに」〈万・三二五〉

小学館デジタル大辞泉』より

 

異性に限らずですが、恋とは特定の誰かを思い慕うこと。特別な「誰がために」思いを寄せることだと思います。

他の誰でもなく蜻蛉切だけに心情を明かそうとした村正も、家康から咄嗟に村正を守ったり本体を投げ捨てて駆け寄ったりした蜻蛉切も、どちらも相手に対して特別な感情を抱いていることは明白です。ここに、それぞれ男・女の役割を持って描かれる要素を乗せ、虫の声や身体的接触といった演出的要素を加えつつ、夫婦としての役割まで付されている。キャラクターの心情という観点からだけでなく、作品自体の構造的観点からも、ここで恋というものを描くのは自然だし、流れとしてとても美しいと感じました。

 

  • 夫婦と子どもの話

「誰がために」において、村正と蜻蛉切はふたりの関係性を「ファミリー/家族」と名付けました。繰り返しの話になりますが、村正派は血縁ないし生まれた時から家族だった訳ではありません。そうでなければ、わざわざ自分たちの関係性に名前を付けたりはしないからです。

刀剣男士で同じ刀派や刀工の作の場合、当然のように家族として認識しあっている者もいます。例えば虎徹兄弟は、お互いを兄弟と認識し、特にそう呼ぼうと決めたエピソードもないままお互いを「長曽祢/蜂須賀兄ちゃん」や「俺の弟の浦島」と呼びます。蜂須賀虎徹と浦島虎徹の関係をとってみても、これは虎徹の真作という血縁(あえてこう言います)によって、自分達の関係を定義しなくても良い「生まれた時からの家族」であるということ。もちろん例外はありますが、血縁関係(刀工が同じなど)がある間柄であれば、わざわざ自分達の関係に名前をつける必要がない。親子や兄弟なら「俺たちの関係を家族と呼ぼう」とは基本的になりません。そこに意識や確認は不要でしょう。この点において、村正派はわざわざファミリー/家族と名前を付けています。これは刀ミュ本丸の刀剣男士の中でも特殊な例です。

しかし、いわゆる一般的な家族において、生まれながらの家族ではないが名付けることで家族になれる唯一の関係があります。それが夫婦です。夫婦だけは、(基本的に)血縁関係がない者同士が、お互いに家族になろうと自ら選択して決めることで成立する関係。村正派のふたりが関係性に名前を付けた行為は、夫婦関係の成立に非常に近いものだと思います。

「血の繋がりばかりが家族じゃねえ」という通り、血縁関係がないけれど夫婦というものは家族として非常に強い結びつきを持っています。一方で、その関係をやめると決めればいつでもやめられてしまう。これをそのまま歌っているのが「誰がために」だと思います。「誰がために」に歌われる内容については後述します。

前項と重複する内容ですが、蜻蛉切と村正は男と女、父親と母親の役割を付されて描かれました。ここに自然な形で乗るのが、夫婦という絆・関係性なのではないでしょうか。

また、この夫婦というものに、葵咲本紀ではさらに夫婦神のイザナギイザナミの要素も乗せられているように感じています。これについては別項にて後述します。

また、「誰がために」のシーンの直後に信康が出現するのも注目すべき点。愛する者同士が身体的・精神的に交わったので、その子供である信康が出現する(出産)という構図になっています。青春時代のすれ違いから、お互いを見つめ、身体的に結ばれて、子どもができる。ここまでが綺麗な流れで村正派の行動に乗せられているように見えました。

 

信康が村正と蜻蛉切の子としての役割を果たしていると述べましたが、このふたりにはもう一度子どもを持つ描写があります。それがエピローグでの手記のくだり。あれもふたりの擬似的な子=新たな命だと思いました。あの手記を書いたのは石切丸ですが、葵咲本紀エピローグでは蜻蛉切が名付けを託されています。悩む蜻蛉切を見た村正は、その場で手記に「葵咲本紀」と名前をつける、というシーンでした。

あのシーンでふたりは、新たに物に名前をつける行為をしています。元々「物」である刀剣男士にとっては、手記であっても同じ「物」。あの手記も、100年経てば付喪神になる可能性だってあるでしょう。そんな物(手記)に対して、蜻蛉切と村正はあの場面で名前という新たな命を吹き込んでいました。

加えれば、手記の産みの親は石切丸。つまり手記と村正・蜻蛉切に血縁はない(直接産み出してはいない)。作中で触れられた家族とは、血の繋がりだけによらないもの。石切丸の実の子を、血縁関係がない村正派が親として育てるという構図は、信康に対しての描き方とよく似ています。同様に、最終的に村正と蜻蛉切があらたに名付けする行為=家族をつくるというのは、作品の集大成のようなシーンだと私は思いました

さらに、手の中にある物(手記)に名前を付けるというのが、かざぐるまの「腕の中には新たな命」をそのまま描いているようでさらに美しい。手記に書かれた石切丸(およびみほとせメンバー)の想い、手記に「葵咲本紀」(葵=徳川が笑う)と名付けた村正の想い、こうした「想い」は誰かに継がれ、命を紡ぐ源になる。そんな新たな命を抱え、村正と蜻蛉切がふたりで名前を付けるという見事な描き方は、もうどう褒めたら良いかわかりません。

葵咲本紀のテーマでもある家族。それを象徴するように表現される、村正派と信康の親子関係に見える描写が、最終的には「かざぐるま」で歌われた情景に乗って、恐ろしいほど美しくまとめられている。本当に本当に美しいシーンだと思います。

 

7-4.「誰がために」について

  • 歌に入る前の場面

検非違使との戦いから逃げてきた鶴丸、村正、蜻蛉切は、追手を撒いた後に休めるところに辿り着きます。警戒する蜻蛉切に対し、鶴丸は「休めるときに休んでおきな」といい、そばで横になり寝てしまいます。

あの鶴丸が実際に睡眠をとっていたとは思えませんので、ここでの鶴丸は、あとは若いお二人で、を実行しているのではないかと思います。成長段階において、青春をとうに越えている鶴丸は、蜻蛉切と村正をふたりきりにしてくれる。目を閉じて見ていないから、ふたりで好きにしなと。目を閉じたまま一切介入しませんが、自分が駆けつけられる範囲で見守ってくれていました。大人の対応だと思います。

 

歌唱直前については、村正が信康に対する思い出を語ったのち、蜻蛉切からの「お前に斬れないものはあるか」の問いに「ありません」と答える場面が描かれます。許せなければ天にも背くし主にも楯突く、と続けます。今回は言及しませんが、この「許せなければ天にも背きマスし、主にも楯突きマスよ」という言葉自体が、かなり尖った発言ですよね。

さて、この斬れないものは無いという発言ですが、これは半分嘘だと思います。もちろん、妖刀村正という物語を背負って顕現した村正は、何でも斬れるのかもしれません。それこそ、徳川家でさえも。村正本人はきっと、それが妖刀村正である自分の役割だから、と認識しているのでしょう。実際、必要な場面が来たら村正は徳川家に対して刃を向けることができるのかもしれません。ただ「斬れないものはない」というのは違うのではないかと思うのです。

そう思うのは、その後の「誰がために」の歌詞の中の村正パートの言葉から。以降は、次項にて述べていきます。

さらに、村正は蜻蛉切に対して、秀康を斬れない=徳川家に刃を向けることができない蜻蛉切の心情に気付けなかったことを謝っていました。そして「もうそんな覚悟はしなくていいデス。それがあなたの美しさなのデスから」とも伝えています。なお、村正は石切丸しかり蜻蛉切しかり、自分と真逆にある存在を「美しい」と例えることが多いのが特徴です。

お互いの肌に触れることで、血の通った人間であることを実感した村正は、蜻蛉切の心まで守りたくなったのだと思います。この時点で村正は、美しい蜻蛉切を守るために、自らが刃を振るうことを覚悟していました。同じく蜻蛉切も、自分の気持ちに名前が付いていませんが、村正をひとりの人間として意識しています。お互いに個人への思いや愛情を抱えている中ではありますが、ややすれ違っている。こういう状況から「誰がために」はスタートします。

 

  • 「誰がために」の解釈

「誰がために」は、よく考えたら村正派唯一のデュエット曲(2部曲を除く)ですよね。意外に思えるけど、村正と蜻蛉切がふたりだけで歌うのはここだけ。そのくらい、村正派の関係性がこの曲に詰まっていると思える曲です。

 

さて、「誰がために」は初っ端からふたりの思いがすれ違っているのがポイントです。まず冒頭の村正のパートでは、徳川のために戦ってきた蜻蛉切に、徳川に刃を向ける覚悟は似合わないと歌う。「ずっと誰がために 徳川のために戦ってきたのデスから そんな覚悟」と。ここでわかるのは、村正は蜻蛉切にとっての「誰」は徳川と認識しているということ。誰がために=徳川のために刃を振るうのが蜻蛉切であり、徳川に対して刃を振るう覚悟なんてしなくていいと。そんな辛い覚悟をさせるくらいなら、自分がその役割を背負うという覚悟をしています。

村正だって信康を愛しているし、徳川に対して刃を振るいたいわけではない。しかし、自分が汚れ役になってでも、蜻蛉切を守りたい。村正にとっての「誰」は、蜻蛉切だからなのでしょう。だからこそ、抱きとめられたときの村正は諦めたような表情をしていたのかもしれません。蜻蛉切のために、徳川に刃を向ける覚悟をした表情にも見えます。徳川に仇なす妖刀村正という逸話を蜻蛉切に一切背負わせないために、村正はひとりで徳川に刃を向けようとしているのではないでしょうか。台詞のなかで村正は「誰かのために戦えるものはそれだけで強い」と言っていました。村正は他人事のように呟いたけど、蜻蛉切のために戦おうとしている村正だって、とても強いですよね。

何か言いたげな蜻蛉切に対し、村正は「それぞれが得意な役割を果たせばいい」「ワタシたちはファミリーなのデスから」と返します。徳川を斬ることを得意な役割と軽く例えることからも、おそらく村正は蜻蛉切を宥めるつもりの軽いやり取りとしてこの言葉を返しています。しかし、「家族」という言葉に蜻蛉切が食いつく。それは、村正が自分にとって何なのかわからずにモヤモヤとしていた蜻蛉切にとって、本人から不意に渡された正解だったのではないでしょうか。名を持たず宙に浮いていた村正と自分の関係が、ここにきて名前を持ってしまいました。自分の気持ちやふたりの関係に名前が当てられたことで、蜻蛉切は覚醒。これ以降、蜻蛉切は自分の信じる道に向かって突っ走ることになります。

ところで蜻蛉切は作中最も転機がわかりやすい人物だと思います。あの拳で額を打つ仕草は、一度目は三百年の子守唄で、物吉くんにけしかけられた「ただ勝つために」のシーンで見られました。自分が忠勝を演じる迷いを払拭したときに、拳で額を叩く。物吉にはお礼を言い、「目が開かれた」と発言しています。二度目がこの「誰がために」の途中。村正に「気は確かですか?」と心配されていたけど、あの時も蜻蛉切は拳で自らの額を打っていました。目が開かれた、つまり覚醒した仕草が、あの仕草なのでしょう。第一段階と第二段階の成長点(覚醒ポイント)において、「ただ勝つために」と「誰がために」って曲名まで対比になっているところも凄いところだと思います。蜻蛉切の表裏の覚醒シーンで、想いの相手の歌を歌うって、美しすぎると思いませんか。

また村正は、この歌の時点で蜻蛉切の様子のおかしさに気付いています。歌唱直前では、蜻蛉切にとっての「誰」は徳川家であると村正は認識しており、歌詞の中でもそう歌います。しかし、村正と自分との関係に「家族」という名前が付いた蜻蛉切は、家族である村正を自身の「誰」と位置付けたわけです。これにより、「誰がために」は村正派がお互いを指してうたう歌として成立しています。

 

「目に見えぬ絆 その強さははかれない」という歌詞から、お互いの絆についてふたりは歌います。歌詞の中で、蜻蛉切は「目に見えないけど固く結ばれている」と表現し、村正は「時に脆くほどける、厄介でしちめんどう」と謳います。ここでもふたりの価値観がややずれているように感じますが、これはお互いへの愛の向け方に準じていると思っています。その後の行動でみられるように、どんな場面であろうが決して村正の手を離さない行動をする蜻蛉切。一方で、蜻蛉切のためなら別れ(自分を捨てさせること)さえ選ぶ村正。互いへの愛の向け方は、まさにこの歌詞の通りに思えます。

ここでふたりは、絆を紐のようなものに例えて、結ぶとかほどけるとか歌うのだけれど、この歌詞での村正、絆は「ほどける」ものといい切らないんですよね。紐に例えるならなおさら切りやすいのに。「ときに簡単に切れる」などではなく、「ほどける」という言葉を使う。ここに、村正が自分から絆を切ることができない心理が見えるのではないかと思いました。

なお、このあと負傷した自分が足手まといにならないように、「ワタシを捨てて行きなさい」と発言するけれど、これも村正側から切り捨てることにはならない。あくまで蜻蛉切が村正を捨てていく、という行為に誘導しているだけです。この一連の流れを見ると、村正は、蜻蛉切というファミリーとの絆を自分から「斬る」ことができないのではないかと思います。だから「斬れないものはない」というのは、半分は嘘なのではないかと感じた次第です。

私の印象では、村正は蜻蛉切側から絆を切られる分には躊躇なく受け入れる。一方で自分からはその絆を切ることができない人物なのではないかと。まあ、蜻蛉切も絶対に自分から絆を切ることはないのですが。

ではなぜ村正はそこまで蜻蛉切に対して自己犠牲も厭わない、大きな思いを抱いているのか。これは単に同じ刀派=ファミリーだから、では足りない気がします。先に述べた通り、この時点での村正は蜻蛉切個人に対する愛情を抱いています。「忘れるなよ。俺も村正だ。妖刀伝説をお前ひとりで背負うことはない」という三百年の子守唄での蜻蛉切の台詞も大きかったのではないでしょうか。そして、さらに歌唱直前に蜻蛉切というひとりの人間(刀剣男士)の熱を感じてしまった。ひとりの人同士として、蜻蛉切に対しての愛を自覚したからこそ、彼のためになら自らが悲しい役割を背負っても良いと考えたのかもしれません。

 

蜻蛉切の覚醒後、続く歌詞ではこの歌のまとめとも言える言葉が込められています。「誰がため」=「蜻蛉切・村正のため」に、それぞれがどんなこと(役割)をするのかが、ここに宣言されているわけです。それぞれのパートごとに見ていきますね。

 

蜻蛉切 誰がために 馳せる想い

村正  零す涙

蜻蛉切 誰がために うたう歌

村正  振るう刃

ふたり その絆に名をつけるのなら

それは ファミリー家族

 

この部分では、歌詞の誰=お互いとして読み替えるとわかりやすいのではないでしょうか。歌詞パートで歌い手ごとに分けると、蜻蛉切は村正のために、想いを馳せて、歌をうたう。村正は蜻蛉切のために、涙を零し、刃を振るう。泣けるほど愛にあふれた歌詞だと思います。

 

注目したいのは、ここでもやっぱりふたりの行動にそれぞれの特徴が出ている点。

蜻蛉切は、村正を想って彼のために歌をうたおうとします。刀ミュにおける歌とは、真実や心を表している、心からあふれ出す想いそのもの。つまり、村正のために己の真心を捧げようとしています。誠意をもって、本音でまっすぐ村正に向き合おうとしていることがわかります。めちゃくちゃの陽ですね。

一方で村正はというと、蜻蛉切のためになら涙を零して刃も振るうと歌っています。この部分は、そのまま自分がやろうとしている行動を指しているのではないでしょうか。蜻蛉切とその美しさのためなら、自分が涙を零してでも徳川家に刃を向ける→役割を背負おうということ。あなたのためなら、傷付いてもいいとさえ思っている。こちらはめちゃくちゃの陰ですね。この対極っぷりが良さでもあるのですが。

村正が目に見えぬ絆を「ときに脆くほどける」「厄介で七面倒」と歌うのは、自分がいざとなったら徳川に刃を向ける妖刀となり、徳川のために戦う槍である蜻蛉切と別れるつもりだから。その反面、愛しているからこそ、分断されるのがつらいと感じてしまう。相手への捨てられない情が、行動の邪魔をする。それを、厄介で七面倒と思っているのではないでしょうか。本当は一緒にいたい、しかし一緒にいることで蜻蛉切の足手まといになってしまうという、相反する気持ちが村正の中にある。たしかに「厄介で七面倒」です。

つまり、蜻蛉切は村正のために歌うし、村正は蜻蛉切のために戦う。蜻蛉切は歌と想い、対して村正は涙と刃という、対極にあるようなものを互いに捧げているところに、私はグッときます。

 

さて、「誰かために」を通して、村正は蜻蛉切の「誰」が自分に向いていると薄々勘づいていたのかもしれません。「気は確かですか」「ああ」のくだりでの、村正の怪訝な顔も印象的です。仮に気付いていたとしても、あえて目を瞑っているのだと思います。

村正が決意したのは、蜻蛉切のためになら自らが汚れ役を引き受けて、刃を振るうこと。蜻蛉切の美しさのためなら、ファミリーとしての繋がりすら解いても良いと思っています。だからこそ「ワタシを捨てて行きなさい」なんて言葉が出てしまうのでしょう。ここでは、怪我している自分は戦闘において不利になるので置いていけという言葉通りの意味もありますが、蜻蛉切の中から妖刀成分を完全に排除してしまえと言っているのではないでしょうか。「俺も村正だ」という蜻蛉切の言葉に救われた村正が、まさにその「俺も村正」という部分を捨てろと言うところに、村正の覚悟と愛を感じます。

しかし、蜻蛉切には「俺がお前を置いて逃げる?二度とそのようなことを口にするな!」と即答されてしまいました。蜻蛉切からしたら、つい今しがた自分たちの絆に名前が付き、自分の気持ちを新たにしたところです。同じ思いで同じ歌をうたったと思いきや、言われたのが「ワタシを捨てていきなさい」では、確かに声を荒げるかもしれません。伝わってなかったんかい!って。

 

蜻蛉切に、自分を捨てることを拒否されたことで、村正は(意識的に)気付かないようにしていた部分を見せつけられてしまいます。蜻蛉切の「誰」が自分であったこと。つまり、蜻蛉切が想いを馳せ、歌を捧げる相手が自分だということに気付いてしまったのでしょう。せっかく「徳川家のために刃を振るう美しい蜻蛉切」への筋道を立てたというのに、彼の想いは妖刀村正である自分へ向いていた。そりゃあ、そのあとに返す台詞も「馬鹿デスねぇ、もう」になります。そこで「はい」やため息にはせず、「馬鹿デスねぇ、もう」は美しすぎるのではないでしょうか。第一のクライマックスとも言えるのではないかと思うほどの、素晴らしいシーンだと思います。村正派の役者お二人の演技がまたものすごく良かった。ピリッとしつつ、独特の色気や匂いがする雰囲気は、あの二人だからこそ作れるのだろうと改めて感じます。

 

こうして、村正と蜻蛉切は「誰がために」の「誰」をお互いと位置づけ生きていくことを選択します。それぞれが背負う運命や役割は、基本的に他者と分かち合うことはできません。村正の妖刀伝説を蜻蛉切が背負えないように。だからこそ、「それぞれがそれぞれの得意な役割を果たせばいい」というのは、理にかなった意見だと思います。悲しい役割も共に背負うことはできないけれど、決して相手を置いて逃げたりしない。ずっとそばにいることを選んだのが、村正派のふたりです。お互いがいるからこそ、悲しい役割にも耐えられる。お互いの存在が救いになっている、とても尊い関係だと思います。

 

8.葵咲本紀2部冒頭の舞について

8-1.イザナギイザナミと村正派

村正と蜻蛉切のふたりが夫婦として描かれる点については前述の通りですが、この夫婦という関係性から、さらに日本の夫婦神であるイザナギイザナミの要素も含んでいるように見えます。

日本創世神話、特に国生み(神生み)部分に関してはイザナギイザナミがその始まりとなります。2柱の男女神がこの世界を作っていくという構造が、刀ミュにおける世界軸の分岐点としてモチーフにするにはぴったりだと私は思っています。

詳細については割愛しますが、葵咲本紀から流れていった歴史は江水散花雪において終わりを迎えます。(結果的には放棄されるが)世界のはじまりに立つ夫婦という点において、葵咲本紀の村正派はあまりにはまり過ぎているように見えました。村正を女性的に、蜻蛉切を男性的に描いていたのも、男女神として表現する意図があるのであれば、それはそうするだろうと勝手に納得しているところではありますが。

イザナギイザナミの国生み描写において、「目合ひ」(まぐわい)という表現があります。目を合わせて愛情を交わすことという意味もありますし、この場面においては男女が契りを結ぶことを意味します。露骨な言い方をすると性交です。これによって、2柱は日本の島々を作っていきます。

このエピソードの要素が入っているように見えるのが、「誰がために」を歌ったあとの5秒程度の間。歌い終わったあとに村正と蜻蛉切は5秒ほど見つめ合って、その後少し不自然に目を反らすという動作をします。このシーンは個人的には目合ひ表現ではないかと思うわけです。直前の接触に続き心を通わせたあとに、もちろん目くばせするという意味も込みで、目合いをしているように見えました。5秒って公演時間の尺から考えれば長い時間ですし、そのあとに少し気まずそうに逸らすのも特徴的。先述の通り、葵咲本紀ではかなり慎重に目線の動きが演出されているので、誰がためにのあとの見つめ合いと逸らし動作は演出上意図的にされている動きなのではないかと思います。

また、1部だけでなく2部冒頭の舞のシーンにおいても、村正派のふたりはイザナギイザナミという夫婦の役割を付されています。舞については次項にて後述します。

 

村正派がイザナギイザナミの役割を与えられていたと仮定してお話します。

分岐する世界のはじまりとして、ひとつの世界線を切り開いたにもかかわらず、江水で描かれた通りその世界は閉じられてしまいました。彼らがイザナギイザナミのように、ずっと続く世界の始まりになれなかったのはなぜなのでしょうか。

これはふたりが持つ愛情が理由だったのではないかと思います。神話においてイザナギは、イザナミに会いに黄泉国まで行ったにもかかわらず逃げ帰ってしまいました。これにより、ふたりは離縁することになります。このイザナギイザナミを置いて逃げるというエピソードを、葵咲本紀の村正派は完遂できていません。

この点、蜻蛉切ははっきりと、村正を置いて逃げることを拒否していました。また2部冒頭のシーンにおいても、イザナギイザナミ役であろうふたりの最後は、イザナギが逃げるのではなく、むしろ縋るように手を伸ばす姿が見えます。葵咲本紀において、イザナギの役割を持つ蜻蛉切は、イザナミの役割を持つ村正を捨てることができませんでした。同時に、村正も蜻蛉切を追うことをしません。「ワタシを捨てて行きなさい」という発言の通り、村正は蜻蛉切が自分を捨てて逃げることを推奨しています。これもイザナミの行動として成立しないところ。本来だったら追手を差し向けて、最終的には対立して絶縁することになるのですが、それをせずに蜻蛉切のために手放すことを選択しているのです。

また、イザナミの死因は火の神カグツチを生んだことによる火傷。その後、怒ったイザナギによってカグツチは殺されてしまいます。刀ミュファンにはおなじみのイネイミヒタクク、その前段階に当たるエピソードですね。

イザナギカグツチを殺す点については、ふたりの(疑似的な)子である信康がそのカグツチ役を担うと仮定して、蜻蛉切がそうしたかというと、まったくそんなことはなく。さらに言えば、蜻蛉切と村正は、信康を生かすという罪すら犯しています。今回は言及を避けますが、罪を犯した男女の創世譚といえばアダムとエバにも繋がりますよね。

さて、信康を生かす罪について。ふたりは信康を受け入れ、さらには検非違使との戦いに参加までさせていました。検非違使との最終決戦において、村正は同じ場にいた信康に対し「信康さんも」と検非違使との戦いに参加させます。蜻蛉切もこれを止めることはありません。これは、検非違使という正史を倒すことで、死ぬはずだった信康が生きていく道をつくるということ。信康が生きていて良い道を自ら作っていくように村正は誘導したのです。ただし、見方を変えればこれは歴史改変をしていることにもなります。信康を生かすということは、今は誰にも知られない小さな変化かもしれませんが、明石に指摘されていた通り歴史改ざんであり、村正派の行動は歴史改ざんを支援するようなものでした。

これらはつまり、村正派が本来のイザナギイザナミの物語を演じられていないということを意味しています。イザナミイザナミの属性を持たせつつ、本編および2部の冒頭において、どちらもその物語を完遂しなかった。ふたりがイザナギイザナミになれなかったことで、その後の世界が変わってしまったのかもしれません。その背景には相手への愛情がある。だからこそ江水散花雪で描かれたように、ふたりから分岐した世界は愛にあふれていて優しかったのだと思います。結果的に閉じられてしまうけれど。

刀剣男士は付喪神(九十九)神のようなもの。完璧な存在を仮に検非違使だとすると、刀剣男士に欠けているものは、心や愛を持つがゆえの弱さなのかもしれません。愛情があるからこそ、村正派は完璧な神の物語をなぞらえることができなかったのではないでしょうか。イザナギイザナミの神話から見ると、葵咲本紀の構造と刀剣男士の構造には、だいぶ通じる部分があると感じています。欠けていて歪だからこそ、誰かとの愛で埋め合う尊さは、国生みにも通じるし、刀剣男士の魅力でもあると思います。

 

8-2.2部冒頭の舞について

2部の冒頭の舞は、村正派のふたりをイザナギイザナミという夫婦神として描いているのではないかと思っています。あの冒頭の舞が何だったのかは今でも正解は明かされていませんが、私はあれをイザナギイザナミの神話を表現したものだと感じました。

そう思う理由は、あの舞のモチーフが神事舞である鳥舞だと思ったからです。鳥舞が何かと説明するには、私より辞書の方が上手いので以下引用します。

 

神事舞の一つ。鳥兜をかぶった舞人が、雌雄の鳥のむつみ合うさまをかたどって舞うもの

『精選版 日本国語大辞典」より

 

イザナギイザナミの国生み神話を表現しているとも言われる舞だそうです。なお鳥舞神楽の動画を見ると、あの舞と似ているのがわかるので、参考までにリンクも貼っておきます。

https://youtube.com/watch?v=ByBS_U806-4

 

鳥舞の特徴である鳥兜の形状が、舞の際に6振りが被っている独特な形状の笠のような被り物に似ています。さらにその被り物の名前は鳥兜(トリカブト)という親和性があります。私は動きも小道具も似ていると思うんだけど、どうでしょうか。葵咲本紀での象徴的な花のひとつであるトリカブトと縁があり、かつ夫婦神の和合を表現する舞。こんなにモチーフにするのにぴったりな舞がありましょうか、と思ったわけです。

夫婦=陰と陽でもある。夫婦と例えたけれど、村正派のふたりは陰陽の対にいる存在としても象徴的。今までも散々影と光、陰と陽について触れてきた刀ミュ。夫婦=陰陽を示し、トリカブトに似た被り物を身に着けて舞うあの冒頭の舞という素材を出されては、妄想せずにはいられなかったわけです。

したがって、この舞が村正と蜻蛉切が中心となって構成されているのにも頷けます。1部で夫婦として成立したふたりが、2部冒頭の舞でイザナギイザナミの夫婦神役を演じるのは自然に感じられます。ここで1部と2部を繋げてくる上手さにも驚嘆しますが。

個人的には、鳥舞の内容でもあるイザナギイザナミの和合に加え、冒頭ダンスではカグツチの出現とイザナミの死までが演じられたのではないかと考えています。なお、冒頭の舞については、もちろん鳥舞をただ再現しているわけではなく、あくまでモチーフとして取り入れているのだと思っています。

それに、葵咲本紀公演が歌合の前だったというのも、こんな風に日本神話をモチーフにしたのではと考える理由になっています。歌合での神生みでは「イネイミヒタクク…」の言葉を使っているので、明らかにカグツチの血から生まれた8柱、つまり日本神話がモチーフになっています。火の神カグツチイザナギイザナミの子なので、歌合でカグツチを扱うのであれば、その前公演である葵咲本紀でイザナギイザナミを扱うのに不思議はありません。

2部冒頭の舞では火のように赤い布を揺らめかせる演出と、恐らく女神イザナミ役である村正が倒れるような振りがあります。ここで、カグツチの出現とイザナミの死というエピソードを取り入れた上で、歌合ではカグツチの血から出でる新たな神生みが描かれた。こう考えると自然というか、歌合への導入としてこの2部冒頭の舞は最適だとすら思います。何が言いたいかというと、あおさくという作品の内容とリンクした素晴らしい演出だったよねって話です。いや、すべて私の超個人的な妄想の範囲なのですが。もしこれを意図して演出しているとしたらすごすぎるのではないかと思っています。

 

9.おわりに

演者である太田さんとspiさんという存在は、刀ミュの中でもどこか特殊な立ち位置にいるような気がします。もちろん、おふたりが素晴らしいキャリアをお持ちであることも大きいのですが、カンパニーの中において特殊な存在感を放っている。それは力量ももちろんですし、備わっているものが大きいところにさらに出力全開でパフォーマンスをしてくれるところに、私はいつも感動しています。高いクオリティを保っている刀ミュで、そのクオリティを支えている存在と言えるのではないでしょうか。

刀ミュの村正と蜻蛉切においては、ここまで散々述べたとおり、非常に複雑性のある役割を付されているキャラクターだと思います。制作側が意図して特殊性を付したとしても、演者の技量が無ければ観客に伝わるものは少ないでしょう。それでも、おふたりの演技やパフォーマンスを通じて、観客側に伝わってくるものがあるのは、もうさすがの一言です。「あのふたりはすごい」というキャラクターの説得力を与えているのは、おふたりの力量による部分が多いと思います。本当素晴らしい役者さんが、素晴らしい役を演じてくれていること、またそれに出合えたことに感謝しています。

 

長々と述べてきましたが、一言で表すなら「村正派尊い」ということです。本当に尊い。ありがとうございます!!!!!!!!ありがとうございます!!!

 

改めて申し上げておくと、ここで述べた内容についてはすべて私の超個人的な妄想です。誰かに強いるつもりはないですし、これが正解と言うつもりは毛頭ありません。これを見て共感してくれたり、意味わからんと思ってくれたり、感覚がキモいと感じられたり、同じ刀ミュや村正派が好きな方にとって、暇つぶしにでもなれたら嬉しく思います。

 

創作物というものは、作り手の思想や特性などが強く反映されるものだと私は考えています。今回であれば、演者さんはもちろんですが、御笠ノさんの脚本を茅野さんの演出で彩ったからこそ、三百年の子守唄・葵咲本紀という作品となったのでしょう。どこかが異なれば、それはまったく別の作品にもなります。

村正派双騎は、脚本も演出も今までとは異なります。当然、作品に乗せられるものやテイスト、観客が受け取れるものも異なるはずです。ここまで相当な文字数で語りましたが、つまりは、村正派双騎って今までの公演とはまったく違うものになる可能性が大いにあるなと。いままで私が感じたものや、先に述べたがすべて覆される可能性すらある。そういうところに、刀ミュのチャレンジ性と演者おふたりへの信頼も感じますし、何を出されるかわからない怖さや期待を抱いています。

 

村正派双騎が発表になってから、毎日が楽しくて仕方ありません。最近では色々と変わることが多い中で、自分の心の持っていき方に悩む日が多くありました。しかし、村正派双騎があることが、日々の生きる糧となりました。村正派双騎が、全公演無事に実施できること、そして演者はじめ関係者の方々皆が健康で満足のいく公演となりますこと、心よりお祈り申し上げます。この時代に、村正派双騎を観劇できることを光栄に思います。

 

長文かつまとまりの悪い文章で申し訳ございませんでした。村正派のすべてに言及しようと思い書き始めた作文でしたが、結局すべては伝えきれなかったと思っています。ただ、今現在の気持ちを、雑ではありますが形にできたことは良かったです。

 

こちらの記事にお付き合いいただいた方にとっても、村正派双騎が素敵な体験となりますように。いつか感動を分かち合えたら嬉しいです。

 

2023.11.25

いよいよ

いよいよ迫ってきましたね、村正派双騎。

毎日何かしらの情報が解禁されていくのは、楽しみでもあり怖くもあり。

 

双騎が決定してからは、早く見たいと思っていましたが、いざ近くなってくると覚悟が決まらないというか。始まったら終わってしまうのが怖いというか。なんだか複雑な感情が心の中で渦巻いています。

まだ始まってすらいないのに、終わらないでくれ…!という気持ちが強いという変な心情でおります。

 

私としては、公演前に今までの村正派についての考えや感想、妄想をまとめておこうと思い、作文を執筆しているところです。

しかし書いていくとあれもこれもと言及したくなり、恐ろしいことに現時点で字数が57,000字を超えています。まだもう少し増える予定なので、最終的に6~7万文字くらいになるかもしれません。

可能な限り初日の前までには仕上げたいと思っていますので、とにかく双騎にむけて村正派のことを考えていたいという方、時間が有り余っているという方は、何卒お付き合いいただければ幸いです。

作文の内容については、Xでも小出しにしていく予定ではあります。

 

自分でも何してるんだと思っていますが(笑)

思いが重すぎて、何かしらをアウトプットしていないと、どうしてもソワソワしてしまうんですよね。

こわいなあ・・・あと4日でしょう?

4日後の自分がどんな状態になってしまうのか。誰か手を握っていて欲しい・・・。

 

日記と題しているのに

日記と題しているのに更新頻度が低いというのもどうなんだろうと思いまして、とりとめのない話でもしてみよかと思います。

 

いやあ、双騎楽しみですね!!

私はというと、村正派双騎に向けて論文執筆に勤しんでいます。

論文なんて格好つけましたが、今までの村正派について自分なりにまとめておきたくて、改めて考え直しているものです。要はボリュームのある妄想文ですね。

言いたいことや考えたいことが多すぎて、現時点で45,000字を超えています。

愛が重い人間であることは自覚していますが、この愛を文章で表現しようとすると、数万文字は軽く超過してしまうものなのですね。勝手に勉強になりました。

双騎に間に合わせることが目標とは言え、できるだけ早く仕上げたいとは思っています。

完成した暁には、お付き合いいただけると嬉しいです。

 

現時点で、村正双騎まであと3週間ほど。いよいよ迫ってきましたね。

何年も願い続けていた双騎がいざ始まるかと思うと、楽しみではありますが、反面怖い気持ちもします。しかも太田さんとspiさんが演出までされるのでしょう?そんなカロリーオーバーなことがあって良いのかと。(良いのです!ありがとうございます!!!)

 

双騎に向けて今までの作品を見返すことを続けていまして、自分なりの考えもまとめて書いてはいるのですが、正直過去作とまったく違うものになるのではないのか、という予感がしています。

 

脚本や演出というものは、かなり属人化されたお仕事だと思っています。御笠ノさん(伊藤さん)だから書けた物語、茅野さんだからできた表現。もちろん役者さんもそうです。太田さんとspiさんでなければ、あの村正派にはならなかったでしょう。

だからこそ、村正派双騎はきっとまったく違うものができあがるのではないかと思うわけです。今までの物語の続きとも、今まで表現されてきた関係性とも違う、新しい村正派が見られるのかも。そう思っています。

今までの村正派のことを血眼になってまとめているところではありますが、それが何の意味もなさなくなるような、そんなものをお出しされる可能性も大いにあるなって。

もちろん、今までの物語を踏まえてつくられる部分も大きいのでしょうが。それはそれとして、すべての予想や準備を裏切られる、その衝撃も楽しみにもしています。

 

要はめちゃくちゃ楽しみって話です。

毎日自分でも怖いくらい双騎のこと考えてる…。

これもまた贅沢な時間ですね。

ブログ公開

cielooh.hatenablog.com

 

改めまして、よろしくお願いいたします!

 

とりあえず前に進むためにブログとして公開しました。

いまのところTwitterの内容を転記しているものばかりです。

Twitterまとめはあとで手直しする予定ですが、とりあえずTwitterよりはこちらの方が見やすいのではないかと思います。

徐々に新しい記事も書いていけたらなと。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

しえろう

 

【X(旧Twitter)まとめ】刀ミュにおける「成長と色」③ 刀ミュにおけるキャラクターの成長段階の話

【X投稿文章の再掲】

とりあえず投稿文をそのまま転記していますが、あとでまとめ直す予定です。

Xより見やすいと思いますので、こちらに再掲しています。

 

人生の巡りについて、鶴丸の台詞にあった4色と照らし合わせて白→青→(黒)→赤→黒…と繰り返すと述べたが、刀ミュにおける成長とは何なのかについて考えていきたい。

 

まず、刀ミュにおけるキャラクターの成長について。

そもそも刀ミュに限らずなんだけど、刀剣乱舞のキャラクターって、その刀が作られた年代と精神年齢があんまりリンクしていない。比較的最近作られた兼さんが一番精神的に幼いかというとそうではない。どちらかと言えばかなり古い年代に作られた粟田口の短刀たちの方が幼い印象のキャラクターとなっている。刀剣乱舞においては刀剣男士の見た目=身体的成長に精神年齢を合わせているように見える。これは、刀ミュにおいても同様。今剣は幼い子どもとして扱われるし、和泉守はフレッシュさはあるが青年として扱われる。

顕現すぐでもきちんと言葉も話せるし、感覚や振る舞いも(性格による差はあれど)見た目と合致している。つまり顕現したての時点で、見た目年齢同等の精神を持つキャラクターとして登場する。

見た目=精神年齢となると、刀ミュには見た目=精神年齢が10代後半以上のキャラクターが多いんじゃないかなと。完全に余談だけど、刀ミュの俳優さんたち年齢不詳者多すぎません?美がカンストすると年齢不詳になるんだなあとしみじみ思います。

 

さてさて、では刀ミュの刀剣男士がどう成長するかというと、まず見た目は変わらない。つまり、成長と言えば経験による心の成長になるわけです。その心の成長のベースや素材になるのが愛なんじゃないか、と私は分析しています。

また、刀剣男士は人の体を得て顕現する。歌合であったように、刀剣男士となる瞬間に彼らは心を得ている。つまり、刀時代の彼らには「記憶」はあるが「心」はないのではないかと思っている。それが刀剣男士となった瞬間に感情として胸に宿るわけである。そりゃあ五陰盛苦感じちゃうよねっていう。

したがって、だいたい見た目と同じくらいの精神性は持ちつつも、任務を通じて対面した出来事を通して持つ感情は初めて経験するもの。そんな刀剣男士がどう成長していくのか、というのは刀ミュの大きな見どころのひとつだと思っています。

 

 

まずは成長段階について。基本的には刀ミュに登場する刀剣男士たちも、エリクソンの発達段階(課題)なぞらえて描かれているように感じた。エリクソンの発達段階については、発達心理学者のエリクソン先生が提唱した8段階のステージのこと。私よりも以下のサイトさんの方が説明上手なので、ぜひご参照ください。

ライフサイクル | 武蔵浦和メンタルクリニック | さいたま市南区

 

このエリクソンによる発達段階は、生まれてすぐの0か月~1歳半頃までの乳児期をはじめ、1歳半~3歳の幼児期初期、3歳~6歳の幼児期後期、6歳~13歳の学童期、13歳~20歳の青年期、20歳~40歳の成人期、40歳~65歳の壮年期、そして65歳以上の老年期までの8段階に分かれている。※分け方については、別説もあるのでだいたいこんな感じと捉えていただければ。

刀ミュの場合、先に述べたとおり見た目年齢に照らし合わせると、ほとんどのキャラクターが青年期くらいの見た目にある。したがって、刀剣男士らは顕現時点で青年期程度の精神を持っていると仮定する。ここを起点に、様々な経験を経て刀剣男士が心を持った人として成長していく姿が刀ミュでは描かれているのではないだろうか、と考えたわけです。

 

各段階を見ていくと、まず青年期の課題は自我同一性(アイデンティティ)の確立。つまり、自分は何者であるのかと自己を見つめ、自分の役割に気付くこと。刀ミュにおいては「役割」という言葉はしばしば用いられてきた。刀剣男士としての自分の役割に気付くことができれば、忠誠心や帰属感に繋がる。自分の役割を受け入れて刀剣男士のひとりとして前を向いて進んでいく姿は、刀ミュの作品でたくさん描かれてきた。これこそ、青年期の発達課題をクリアする=成長する姿ではないかと私は感じたわけです。

 

というわけで、刀ミュでの具体的な例を挙げて見ていきたい。

青年期の例として、顕現したての刀剣男士はほぼ最初にこの課題にぶち当たる。大切な元主を前にして、自分はどうするべきなのか。過去の経験を目の当たりにして、刀剣男士として任務を遂行することができるのか。パライソなら、先に述べた通り浦島や松井江がこの段階に位置していた。特に松井は、刀だった時代のトラウマとも言える島原の乱の記憶をもって、再度島原の乱の任務に当たる。キリシタン達を撫で斬りにしなければならないという状況で、刀剣男士として自分の役割を全うできるかどうかが松井の課題だった。鶴丸が松井に対して発した「それが嫌なら刀剣男士辞めるかい?」という台詞なんて、刀剣男士という役割を松井が得るかどうかを問うシーンはとてもわかりやすい。松井にとってのパライソは、自らの刀剣男士としてのアイデンティティの確立がかかった出陣だったと言える。結果的に、元主である松井興長の言動に心を動かされて松井は任務をこなす=キリシタンの人間を斬ることができるようになった。つまり松井は最終的には刀剣男士としての自らの役割を見つけ、アイデンティティを確立できたと言える。

 

この刀剣男士としてのアイデンティティを確立する段階を、先に述べた「青」だと私は考えている。青年という言葉通り、まだフレッシュで自らの役割が何なのかを模索している段階。多くの場合、刀ミュではまだ経験の浅い刀剣男士が青=青年期のフェーズにいる状態だと思っている。歴史を守るとは何か、かつての主と向き合ったときに刀剣男士としての自分はどのような行動に出るか、こういった課題と対峙するのは青年期=青のフェーズにいる刀剣男士。自分とは何か、何ができるのか、どう生きるのかという自分の役割と課題と向き合う彼らはめちゃくちゃ熱いよね。

 

さて、そんな青年期を過ぎたら、次に訪れるのは成人期。ここでの課題は信頼できる人物との親密な関係の構築。ここで大切な人や仲間と良い関係=親密性を築ければ、幸福や愛を得ることができる。一方で、他者と深くかかわらずに回避や距離をとれば孤立に繋がっていく。こうした課題も、刀ミュでは多く毎回描かれてきた。そうした同部隊の仲間や特別な誰かとの絆が深まるエピソードは、成人期の発達課題になぞらえることができる。

 

成人期は、あおさくの村正が顕著な例だろう。妖刀と呼ばれた自分が刀剣男士として任務に当たる中で、蜻蛉切という特別な人物との親密性を築く。自らの命を懸けても守りたい存在としてお互いを認識することで、村正は親密性を獲得することができた。もし村正が蜻蛉切との親密な関係を築けずに、妖刀としてひとりきりで生きていくことを選択していたら、村正は孤立し成長は停滞してしまっていただろう。村正を例に挙げたが、この成人期には長曽祢や堀川らも該当する。

 

こうした他者との関わりの中で愛情や親密性を育んでいく成人期の段階は、「赤」のフェーズだと考えられる。他者との愛がキーワードになるので、イメージ的にも赤がぴったりなんじゃないかなって。自分が刀剣男士としてどう任務に当たるかというアイデンティティは確立できた上で、仲間や大切な人のために何ができるのか。もしかしたらそれは、大切な人のために自らが刃を振るうことかもしれないし、つらい役割を引き受けることかもしれないし、嘘をつくことかもしれない。大切な誰かのために、自分が(犠牲になるような)行動をするのか、結果としてその相手とどのような関係性を築いていくのか。これが成人期=赤のフェーズにいる刀剣男士だと思っている。

また、この赤段階が一区切りでもあると思っている。それはこの成人期=赤の段階をクリアした刀剣男士が、極の修行に出かけるからである。過去作品でも「誰かのために戦えるものは強い」と語られた通り、このフェーズに到達した刀剣男士は愛情深く、そして強い。修行に行くのも頷ける。例に挙げた村正はじめ蜻蛉切も、長曽祢、堀川、安定、和泉守、今剣も、修行に行く直前の出陣では、皆誰かのためを思って行動している。今剣を例に挙げると、あつかしでは青年期の課題である、刀剣男士としての自己の確立が描かれており、つはものではその上で成人期の課題となる、自分に居場所をくれた岩融を思いやり彼が傷つかない選択をしようとする姿が描かれる。そしてつはものの出陣後、修行へと向かっている。成長過程がわかりやすいキャラクターのひとりだと思う。

 

さて、成人期も過ぎたら、次は壮年期になる。壮年期の課題となるのは世代性の獲得、つまり次の世代や後輩を育てていくフェーズ。この課題がクリアできないと、次世代と関われない、自分のことだけを考える自己停滞となってしまう。課題をクリア=次の世代に継承していくことで、世話の能力を得られる。刀ミュでもこの段階に達した刀剣男士が出ている。つまり、この段階に達しているのは基本的には修行から帰った極の刀剣男士。段階的には「白」と言っても良いのではないだろうか。

 

この段階がわかりやすいのが我らが兼さん。修行から戻った和泉守は、顕現してから日の浅い後輩刀剣男士たちの面倒を見る姿が顕著に描かれる。自分が経験してきたことを踏まえ、肥前はじめ若手の刀剣男士に寄り添う姿勢が印象的だった。自分の役割や誰かへの愛をもちろん抱えながら、後輩刀剣男士という次世代を育てようと世話をしている段階である。非常に頼りがいのある兄貴分として立派な姿が描かれており、これはもうもう一段成長したと言っていいのではないかと思うわけです。

ちなみに、パライソでは鶴丸も、また江水では山姥切国広も後輩育成をしているので、成長段階的には極と変わらないと判断できる。のだが、極姿では描かれていない。これに関しては、後悔といった部分が関連しているのかなあ、なんてぼんやり思っているのだが、まだ私自身の考えがまとまっていないので、今回は触れないでおきます。

 

刀ミュって、こうした成長過程を描く物語が決して無機質ではないところが本当に素晴らしい。出陣して、元主と戦うことに葛藤して、敵を倒して、仲間との絆を得て、これからも頑張るぜ!という基本形を持ったストーリーではあるんだけど、その過程ひとつひとつに必ず愛というものが詰まっている。それは自己愛でもあるし、元主や触れ合った人間、仲間や特別な関係の人物との愛など、誰に向いているのかも、どういう形で示す愛なのかもそれぞれ違うけど、物語のどこを切り取っても愛を欠くことがない。先述した成長段階を1段上がる際にも、必ず彼らは愛に触れている。パライソの中で天草四郎が歌った「愛し愛され許され生きる」ということは、人として生きていく上で、また成長していく上で欠かせないものなのだろうなって。自分を愛し、他者を愛し、愛されることで人は次のステップに行けるんじゃないかな、なんて感想を抱きました。

 

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